進みすぎた現代科学が映画『ブレードランナー2049』を陳腐にする?

映画・舞台・音楽

メディアゴン編集部
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『ブレードランナー 2049』を見た。
前作『ブレードランナー』は1982年公開で、その舞台は2019年。フィリップ・K・ディックのSF小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?(1968年)』を原作としている。筆者は1982年の公開当時に見ているが、その時は多大な衝撃を受けたと記憶している。日本はバブル景気直前の狂乱の時代であった。
『ブレードランナー 2049』は、その続編というべき作品。舞台は2049年だ。
今作を見るにあたり、25才の青年男女2人に同行してもらった。もちろん、前作や当時の社会状況を知らない世代である。1982年の前作を事前にDVDで見てから来てもらった。
前作は、哲学的な表現と物語に満ち満ちていて(その多くは故意に映像的説明を省き、見るものを迷宮に招く編集がリドリー・スコット監督によって施してがあるからだ。正解は見る者自身が考えろ、という編集なのであろう)つまりは、大変、分かりにくい作品だった。
分かりにくいが「謎を考える事こそが楽しみ」というエンターテインメントの一類型を示す作品であった。今では当たり前になった「謎を考える事こそが楽しみ」というエンターテインメント手法は、当時としてはまだまだ新鮮だった。
対して今作『ブレードランナー 2049』は、大変分かりやすい作品である。
前作を見なくても、理解できる編集。 映像的説明がきちんとしてあるので、誰がレプリカント(人造人間)であるかはすぐ分かる。鬼面人を驚かす緊迫シーンのサービスもふんだんにある。物語を分かりにくくする省略も無い。まごうことなき「わかりやすさが魅力」のハリウッド大作に仕上がっている。(もちろん、最初からその方針で作られたのであろうが)
【参考】ホリエモンの名言「AIがレシピをつくっても、それを食べてうまいと思えるのは人間だけだ」
物語の舞台は前作から30年後、2049年のロサンゼルス。街には前作と同じく、酸性雨が降り注ぐ。富裕層は皆、地球外の居住地域に移住している。今作のレプリカントは旧式のネクサス8型の改良型で、人間世界に反乱を起こす事は無い、だが・・・。
1982年当時から37年後の2019年を見たとき(前作)と、2017年現在から32年後の2049年見たとき(今作)では、科学発展における時代状況が全く違うという事を思い知らされる。2017年現在の科学は、1982年当時の人間の予想をはるかに越えて進みすぎている。
現代は科学が進みすぎてしまい、むしろ科学の発展に限界が見える様になってしまっている感がある。本作でいえば、レプリカントが擬似的な心を持つ事はあっても、本物の心を持つ事ははあり得ない。そんなことが一般の視聴者にもなんとなくわかってきている。AIは未来を変えるであろうが、その未来は決して鉄腕アトムではないのだ。
そう思うと、『ブレードランナー 2049』という映画自体が急に色あせて見えてくる。なぜなら、「レプリカントが心を持ったらどうなるか」という設定に没入できなくなってしまうからだ。
さて、前作の時代状況(80年代)を知らない25才青年男女2人に、前作と今作どちらが面白かったか聞いてみた。すると2人は口を揃えて「前作」と言った。
 
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