対米従属政治がなぜだめなのか -植草一秀

植草一秀[経済評論家]

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政治を刷新するには選挙という関門を通過しなければならない。戦後の日本政治を支配してきたのは敗戦直後の一時期を除き、対米従属勢力だった。敗戦直後の総選挙によって片山哲内閣が樹立された。社会党党首を首班とする政権だった。後継の政権は芦田均内閣だった。主権者の意思によって革新政権が樹立されたのである。片山哲内閣が樹立されたのが1947年5月。芦田内閣が樹立されたのは48年3月だ。

しかし、芦田内閣は48年10月に総辞職に追い込まれた。背景にあるのは日本を占領した米国が、この二つの政権を嫌ったことである。米国による占領政策は1947年に大逆転した。「日本民主化」から「日本非民主化」に基本路線が大転換したのだ。

敗戦直後の対日占領政策は徹底した民主化路線に特徴があった。GHQで主導権を保持したのはGS=民生局である。財閥解体、農地解放、労働組合育成などドラスティックな政策が遂行された。その集大成が日本国憲法の制定だ。日本国憲法は1646年10月に公布され、47年5月に施行された。

米国の変節、転換は1947年のことだ。1947年、米国は外交の基本路線を大転換した。新たに基軸に据えられたのは「ソ連封じ込め」である。日本を徹底した民主主義国家として育成する方針は排除され、日本を「反共の防波堤」にする方針が新たに示された。ここに日本国憲法出自の秘密がある。

対米従属を批判する者が日本国憲法を擁護するのは「矛盾だ」とする見解が聞かれる。「米国が制定に深く関与した日本国憲法を、対米従属を批判する者が守ろうとするのはおかしい」との主張だ。

しかし、この主張を示す者は、戦後史の核心を知らない。1947年に米国の対日占領政策の基本路線が大転換している。「逆コース」と呼ばれる。「逆コース」前の占領政策は真摯な民主化路線に貫かれたものであり、日本国憲法は、この「逆コース」前の占領政策によって生み出された。

ところが、「逆コース」で占領政策の基本が大転換した。「民主化路線」は「非民主化路線」に転換してしまったのだ。「非民主化路線」を採用した「逆コース」後の占領政策にとって、日本国憲法は邪魔な存在になった。したがって、「逆コース」後の対米従属勢力が憲法改定を叫び、「逆コース」前の民主化路線を肯定する者が日本国憲法を擁護するのは順当なのだ。まったく矛盾していない。

「逆コース」後の占領政策において実権を握ったのがGHQのG2(参謀2部)である。1947年から1952年にかけて、日本では奇怪な事件が多発した。そのほとんどの背後に見え隠れしているのがGHQ・G2の工作活動である。松本清張氏が『日本の黒い霧』で深い考察と詳細な事実関係を示している。

1948年に米国の工作活動によって吉田茂内閣が樹立されて以降、70年間にわたって、日本政治は対米従属勢力によって支配され続けてきた。この基本構造を打破しようとする試みが何度か開花しかけたが、対米従属勢力の卑劣で不正な工作によって破壊されてきた。

1993年の細川護熙内閣の樹立、2009年の鳩山由紀夫内閣の樹立がその代表事例だが、両政権は米国=CIAの工作活動によって破壊された。この歴史的経緯を踏まえて日本政治刷新の道筋を描かなければならない。重要なことは、単なる政権交代では意味がないということだ。政権交代に意味があるのではなく、政権交代によって政治の基本を変えることが重要なのだ。

このことを踏まえて2019政治決戦に臨まなければならない。何よりも大事なことは、政策を基軸に反安倍自公陣営を形成することだ。

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