<公開処刑された学者6名は生け贄か>中曽根元総理にも無礼!6学者に即刻謝罪を

両角敏明[元テレビプロデューサー]

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日本学術会議(以下「日学」)が105名の新規会員推薦について、 “所轄”の菅首相はうち6名の任命を拒否しました。菅首相自身が述べたその判断理由は

「総合的、俯瞰的な活動を確保する観点から判断」「広い視野に立ってバランスのとれた活動を行うことを念頭に判断」

ということは、拒否された高名な学者6名が加わることにより日学の活動に、

「総合的、俯瞰的な活動の確保に支障を来す」「バランスのとれた活動を行うことを阻害する」

と菅首相が判断したことになります。業績どころか6名の名前すら見ていないはずなのに。

これだけでも学者6名をひどく愚弄していますが、きわめて高い独立性を与えられた日学の人事に菅首相が介入する権限があるのかどうかの議論になると、6名の碩学にはより無礼な言葉が浴びせられます。政府は2018年作成の内部文書で「推薦のとおりに任命すべき義務があるとまでは言えないと考えられる」とし、野党ヒアリングで内閣法制局は、

「国民および国会に対して責任を負えないような場合にまで任命する義務はない」

と言い切りました。これが任命拒否権限の根拠なら、学者6名は“国民と国会に対し責任の持てない”学者と国にレッテルを貼られ、これが公表されることにより学者として公開処刑を受けたことになります。しかも「総合的、俯瞰的」「バランス」「国民・国会への責任」のいずれにおいても、6名の「何が、どうだから」任命拒否の事由となったのかも説明されていません。説明出来るはずはありません、断罪したご当人である菅首相は6名の名前すら見ていないのですから。あまりに無茶苦茶です。

菅首相が恥ずかしげもなく「(6名が削られた後の)99名のリストしか見ていない」と言ったのはなぜでしょうか。同時に「学者個々の思想信条が任命に影響したか」と問われて「それはない」と答えてもいます。さらに「(日学は)広い視野、バランスの取れた活動を念頭に(すべきという観点で)判断した」とも言っています。註()は筆者

ということは、菅首相がロックオンした攻撃目標は学者6名ではなく日本学術会議そのものなのです。簡単に言えば、菅首相から見れば日本学術会議の活動は左に偏っており、総合的、俯瞰的に広い視野で見てもっと右寄りに活動してバランスをとりなさい、そうしないとこうやって人事に介入するよ、と日学を脅したのが今回の出来事なのでしょう。なんとも下品で街のゴロツキみたいなやりようですが、筆者ばりでなく、あの誤報でおなじみフジテレビ上席解説委員・平井文夫氏も誤報の一部を弁解した番組でこうおっしゃっておりました。

「保守、リベラルの座標軸は右に動いている。(にもかかわらず日学の左偏向が)あまりにもひどいので政府も口を出さざるを得ない。(日学の提言などは)ぼくもなんだこりゃ、って思いますよ。」

日本が右傾化しているのだから、日学ももっと右傾化すべきだ、という話です。これではまさに思想統制、学問の自由への介入そのものでは。菅政権はさすがにはっきりそうとは言えないので、学者6名の任命を拒否する形で脅しを入れてきたのでしょう。ならば、お気の毒に6名の学者は生け贄に過ぎず、碩学に対しこうした無神経な仕打ができるのが菅政権の正体ということなのです。

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もとより、多少の知性、見識があればこうした介入をするのは学問の自由の侵害、あるいは思想統制でマズイと思うのでしょうが、そう理解しない人も世の中にはいます。ですから、これを怖れた国会議員たちは1983年の日本学術会議法改正時に念には念を入れて法案解釈を確認しています。

時の中曽根首相はくり返し、「形だけの推薦制であって、学術会議の方から推薦をしていただいた者は拒否はしない、そのとおりの形だけの任命をしていく」と断言し、それでも介入を危惧する野党の何回にもわたるしつこいほどの質問に他の閣僚や官僚も同様の国会答弁をくり返しました。

その法解釈に変更が加わることがないまま、安倍政権は国会に諮らず陰でこの法解釈とは180度解釈の違った文書を作成します。日学会員が特別公務員とされることから、

憲法15条「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」

憲法65条「行政権は、内閣に属する」

憲法72条「内閣総理大臣は(中略)行政各部を指揮監督する」

を根拠に、任命拒否の権限が首相にある、とこの文書には書かれています。安倍政権を継承する菅政権はこれを根拠に日学推薦者の任命を拒否する権限が首相にあるとしています。しかし、これは中曽根元総理を愚弄する議論です。中曽根内閣の時も今も憲法は同じですから中曽根総理と当時の閣僚や官僚もこの憲法条項を当然認識しており、その上で「形式的任命」を言明したはずです。これを否定するならば、あの強力な改憲論者である中曽根康弘が憲法を知らず、あるいは憲法を無視して「形式的任命」と認めたと菅政権が言っていることになります。

この論は無理です。やはり1983年、中曽根首相は関係する憲法規定の存在を前提にした上で「形式的任命」と答弁し、その解釈により改正案は法として確定したと考えるほかはありません。蛇足ですが日本学術会議の独立性は特段で、日本学術会議法第1条に「日本学術会議は、内閣総理大臣の所轄とする。」とあり、広辞苑によれば「所轄」とは「人事院等の独立性を有する所轄行政機関が、内閣などの通常の行政機関の下に形式的に属すること」とあります。やはり行政機関の下に「形式的に」属している組織、それが日学なのです。

今回の騒動に巻き込まれた6名の学者さんは実にお気の毒です。4000人ほどの候補者の中から数次の銓衡過程を経て、その業績や学問的価値が評価され、晴れて日本学術会議の会員として推薦されたにもかかわらず、6名は名前も知られず、何の瑕疵も指摘されず、研究成果や業績も問われないまま、菅首相により任命を拒否されました。そこには学問や学者に対する露ほどのリスペクトもなく、菅首相が日学という組織を人事を持って意のままにするために、6名の高名な学者を生け贄として公開処刑したも同然なのです。一片の理由も示さずに。

菅首相には、人事による陰湿、強権、不見識な恐怖支配を慎み、総合的・俯瞰的な観点とやらに公正公平でオープンな対応と、できればおおらかさと多少の見識を加えて、常識ある行政判断をしていただきたいと考えます。

そして重要なことですが、もし菅首相ご自身がおっしゃるように、学者6名の思想信条や業績評価が任命拒否の理由でないのなら、即刻6名にあまりの無礼を謝罪すべきです。6名は菅首相の判断により名誉を大きく毀損され続けているのですから。

日学任命拒否問題に関しては、平井文夫氏なみの誤った言葉、事実誤認の発言が飛び交っています。多くは菅首相の任命拒否問題を日学のあり方問題にすり替えようという意図的発言のようですが、これについてはまた別稿で。

 

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