<止まない炎上>小室禍と東京五輪エンブレム騒動の類似点

藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)/メディア学者]

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テレビもネットも、わらゆる媒体で最強のエンタメコンテンツになってしまった小室圭氏と秋篠宮眞子内親王殿下の婚約問題。日本人としては、ご皇室に関わる問題をエンタメコンテンツとして扱うことに心苦しいが、これまでの小室圭氏の挙動は、自らすすんで「ワイドショーやネットメディアにイジってもらいたい」と燃え盛る炎の中に、フルスイングで大量のガソリンを注ぎ込んでいるとしか思えない。

28枚6万字にも及ぶ「説明・弁明論文」を出したかと思えば、4日後にはその説明・弁明の根幹を覆してしまう「解決金の支払い」を提案するなどその混迷はますます加速しており、「令和の不動のエンタメコンテンツ」となりつつある。炎上と延焼は止まず、秋篠宮家は言うにおよばず、天皇陛下を含めたご皇室にまでその被害が及びつつある現在の状況は「小室禍」とさえ言われている。

小室禍の炎上はなぜ止まないのか。発信者が誰であっても小室圭氏に関わる説明や弁明などの情報発信がされるたびに、炎上は拡大する。この状態を見て、筆者の頭に真っ先に思い浮かんだのが、「東京五輪エンブレムパクリ騒動」である。今回の「小室禍炎上」はエンブレム騒動の展開と酷似しているからだ。

東京五輪エンブレム騒動とは、東京五輪の公式エンブレムに採択されたデザインにパクリ疑惑が指摘され、その結果、エンブレムの取り下げ、再公募に至った一連の騒動である。おそらく、デザイン史上、五輪史上において、他に類を見ない炎上騒動であったことは記憶に新しい。エンブレムを担当した日本を代表する若手デザイナーであった佐野研二郎氏は本件により、デザイン業界の表舞台から消えてしまう。まさに、コロナ延期と並び称されて五輪史に語り継がれるであろう歴史的なスキャンダルと言っても過言ではない騒動であった。

疑惑の佐野研二郎氏はパクリ騒動の発生当初、著名デザイナーとしてのプライドから、パクリ疑惑の否定を前提に、あらゆる説明、あらゆる論破を試みた。しかし、それが結果としてさらなるパクリ疑惑を生み、五輪エンブレムとは無関係な過去の佐野氏の作品や言動にまで検証が及んでしまい、完全に「パクリエイター」としての印象が確定してしまう。その後は、何を言っても、何を出してもすべてが批判の対象となってしまうという状態に。佐野氏への批判は五輪とは関係のないありとあらゆる面に至るようになってしまった。こうなるともう、炎上と延焼を抑えることはできない。

パクリ疑惑が発生した際、もし佐野研二郎氏が、その事実を認め(パクったかどうかではなく、似ているという事実)、素直に「参考にしてしまったのに、それを明記しなかった」とか「素晴らしいデザインなので、影響を受けてしまった」「似ているのは事実なので、共作ということにする」などといったような先人へのリスペクトや正規の知的財産権上の手続きをとっていれば、おそらく、エンブレム騒動の過激な炎上は起きなかったはずである。佐野氏のデザイナーとしての権威やキャリアもここまで汚れることはなかったはずだ。それどころか、佐野氏のエンブレムがそのまま使われていた可能性すらあっただろう。

[参考]<呪われた東京五輪>多すぎるスキャンダルと開催の是非

これが意味していることは、ネット民を含めた今の情報環境が、「調べようと思えばかなりのことが調べられる」「その気になればどんなこじつけもできる」「批判や意見は誰もが自由に発信できる」という現実である。批判や指摘の槍玉に上がった人から繰り出される反論や説明に対しては、45億人とも言われる世界ネット人口からの再反論や再調査の危険性がある、ということを忘れてはならないのだ。この現実こそ、ネット時代に情報発信をする上で、不可避のリスクだ。

もちろん、批判や指摘をされたら「素直に認め、謝ればよい」という単純な話ではないが、少なくとも「説明(論破)すれば理解されるはずだ」と勝手に思い込み、自分のプライドを守ろうとすることで、炎上は確実に加速する。

その前例を踏まえ、現在の小室禍の炎上をみてみよう。

まず小室圭氏はマスコミで報道されている金銭トラブルを「事実ではない(あるいは間違って伝えられている)」として全面的に否定している。小室氏に一貫しているスタンスは、「マスコミに一方的な報道をされているが、自分にも言い分がある。マスコミの報道やネットの罵詈雑言が過剰になっており、自分たちの正当な言い分が世間に届いていないことで一方的な批判を生んでいる。自分たちの言い分や説明をちゃんと聞いてもらえれば、理解してもらえるはずだ(あるいは理解してほしい)」という発想である。

様々なメディアも伝えているように、秋篠宮殿下を含め、ご皇室にかけた迷惑に対しての謝罪などはない。「謝れば非を認めたことにある」とでも言いたいようにさえ感じる。もちろん、金銭トラブルの相手である母・小室佳代さんの元婚約者に対しても、「事実無根、言いがかり」とでも言いたいかの様相で一方的なロジックに終始している。

小室氏から出されるメッセージといえば、「一見すると筋も論理も通っているように見える説明や弁明」である。しかし、それが論理的文書であればあるほど、「理詰めで攻撃している」ように感じられ、世間からは納得はおろか、理解さえされず、炎上にガソリンを注ぐ結果となっている。

まさに、エンブレム騒動の時の佐野研二郎氏の挙動と酷似している。佐野氏と小室氏の共通点は、自己弁護(正当化)のために行った局所的な視点からのロジックが、天文学的な数の敵を自ら作り出してしまった、ということだろう。プライドからくる「理論的な反論」が却って自分をどうしようもないレベルの窮地にまで追い込んでいるのだ。

小室圭氏が、エンブレム騒動での佐野氏と同じ轍を踏んでいる以上、エンブレム騒動と同じような結末になるまで騒動は止まないであろう。東京五輪組織委員会は「佐野デザインの取り下げと再公募」という異例の英断をすることで、ギリギリのところで東京五輪そのものが沈没することを防いだが(それでも歴史的な汚点にはなっている)、宮内庁はどう決断するのか。その決断次第では、小室禍は、日本のご皇室の存続をも危ぶませるような危険性すら生みかねない。

小室禍をエンブレム騒動の二の舞にしないためにも、宮内庁は、今後どんな策を弄しても絶対に、1 ミリも改善しないと思われる現状を真摯にうけとめ、良識ある差配を下すことが求められる。

 

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