ドラマ『日本沈没』と『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』に感じる「没入感」の差

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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新作『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』と、SFドラマのリメイク『日本沈没 ー希望のひとー』(TBS)を同じ日に見た。

『日本沈没』を見終わった夜10時過ぎ、一番に感じたのは2つの作品への没入感に大きな差があったことだ。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』は2時間44分の長尺でにもかかわらず、飽きずに見ることが出来た。比して『日本沈没』は初回25分拡大で、こちらも拡大版。どちらも力の入った作品である。ところが、比べると、『日本沈没』のほうには、あまり没入できなかったのである。なぜか。なぜ没入感が得られないのか。これは、彼我のドラマ、特にフィクション感の強い作品を見たときに常に、昔から感じる筆者の思いでもあった。

お断りしておくが、脚本の面白さは、対等であると感じた。『007』は、ニール・パーヴィス、ロバート・ウェイド、キャリー・ジョージ・フクナガ(監督)、フィービー・ウォーラー=ブリッジ4人の共同脚本(アメリカは共同脚本なのが通常である)一方『日本沈没』は橋本裕志脚本。プロデューサー東仲恵吾との協業であろうと思われる(日本では通常プロデューサーと脚本家が、話し合いながら作ってゆく)原作は小松左京とイアン・フレミング。名作であることには変わりがない。

見た環境はどうか。『007』は大スクリーンの映画館、『日本沈没』は家の58インチテレビである。これは問題だ。だが、冷静になって『日本沈没』をテレビで見たハンデを差し引いてみたが、あまり差は埋まらない。大スクリーンで見なければ本物の映画は味わえないとおっしゃる方も居るが、そもそも『日本沈没』はテレビ用に作ったものである。Netflixでも放送するそうだが、これを映画用にコンバートしたら没入感の差は埋まるのだろうか。そうは思えない。自分にひきつけて考えると、例えば『インディ・ジョーンズ』を、筆者は映画館でも、テレビでも見たが(CMは抜きで考えれば)「没入感には変わりはない」と思うタイプである。

役者はどうか。主演はダニエル・クレイグと小栗旬。

俳優には2種類いるそうだ。「役のキャラクターに自分を寄せていくタイプ」「役を自分にひきつけて演じるタイプ」前者をロバート・デ・ニーロ、後者を木村拓哉と考えればわかりやすいだろう。ただし、これは「役のキャラクターに自分を寄せていくタイプ」が優秀なわけではなく、「役を自分にひきつけて演じるタイプ」にだって名優は居る。高倉健は何を演っても高倉健だが、優れている。

それよりも感じるのは筆者や、我々はダニエル・クレイグの芸能ゴシップは知らないが、小栗旬のバラエティなどでの素顔は知っている。それ故に小栗旬が演じている環境省代表の高級官僚・天海啓示<39>が、素顔の小栗旬にしか見えない。何を演っても小栗旬というのとは違う。小栗旬が高級官僚には見えないのだ。これは大きな差だと思わざるを得ない。

美男美女、イケメン俳優の使い方にもアメリカと日本では差がある。『日本沈没』では、小栗旬、松山ケンイチ、仲村トオル、杉本哲太、風間杜夫、石橋蓮司、松田丈志、吉田鋼太郎と、イケメンないしは渋くかっこいい大人と評判の高い男優陣のオンパレード。当然、適役をキャステイングしているのだろうが、後尾男子揃いでは、内閣は内閣に見えないし、官僚は官僚に見えない。ニュースなどで筆者らは本物の内閣と官僚を見慣れている。女優陣も美女を揃えてしまっては不自然だと感じたのか、不自然にそうでない人を起用しているところが不自然になってしまっている。

一方、アメリカのそれはほとんど知らない。キャストもダニエル・クレイグ、ラミ・マレック、レア・セドゥ、ラシャーナ・リンチ、ベン・ウィショー、アナ・デ・アルマス、ナオミ・ハリス、ジェフリー・ライト、クリストフ・ヴァルツ、レイフ・ファインズとならぶが、筆者にとって、この役者陣のなかで顔と名前が容易に一致するのは、007役ダニエル・クレイグだけである。だから、役者としてではなく登場人物として把握するのが容易なのである。

アメリカでは、基本的にキャストをオーディションで選ぶ。トム・クルーズやトム・ハンクスやジョニー・デップだってオーディションにかけられることがある。しかも、脇役はもっと、オーディション比率が高まる。微妙に鼻が曲がっていて貧乏臭さを感じさせる役者、美人だが崩れている感じの俳優。脚本と演出の要望に叶う人が出ているのがアメリカの映画だ。『007』ほどの大作なら、金もかけられるのでこの辺はより精緻になるのだろう。日本では役者の層も薄いし、オーディションをする金も時間もないということなのだろうか。伊集院光、小杉竜一(ブラックマヨネーズ)、長田庄平(チョコレートプラネット)、鈴木もぐら(空気階段)バッファロー吾郎Aの出演はシャレなんだろうけど、ただ本人が出ているだけで、工夫がなく、この使い方ではシャレにならない。どんなシリアスなドラマでも笑える所を作ろうという姿勢はスキなんだけれど、笑えなくては甲斐もない。

もう一つ、大きと思われるのは、感情を揺さぶるBGM、効果音の使用法における巧拙である。

日本が舞台で007がショーン・コネリーの『007は二度死ぬ』。1967年(昭和42年)12歳のときに劇場で見た。だが、若林映子、丹波哲郎、浜美枝が出てきたときは白けた。上記理由によるのだろう。ショーン・コネリーが浴衣に着替えただけで「これで日本人と区別がつかない」と言うセリフは、ギャグなんだから、笑えるように訳してほしいと思った。

1973年(昭和48年)の映画「日本沈没」(監督・森谷司郎、特撮監督・中野昭慶)は、レンタルビデオで見た。巨額を投じているにも関わらず。当時の映像技術では画づくりが、限度いっぱいいっぱいだったのだろう。チープ感が目立って没入感は得られなかった。

この話をしたのは映像作品で大切な3点、スジ(物語)ヌケ(画づくり・撮影技法)ドウサ(演技)の話のうち、ヌケの話をしたかったからである。ヌケ(画づくり・撮影技法)に関して、特にSF映画の場合日本は圧倒的に劣勢である。田所博士の研究所はセコすぎるし、内閣が集まっている場所はベニヤ板感がする。深海挺や海中映像はCGを使っているのだろうが、よくある自然番組の映像と何ら変わりがない。これらの点にSF的誇張をいれて工夫をしないと、凡庸になってしまうのではないか。日本のアニメが世界で受け入れられるのは、スジ・ヌケ・ドウサが、役者、撮影者、演技者に頼らずできているからではないのか、と思うに至った。

最後にナレーションについて述べておく。ホラン千秋さんには、好感を持っているが、このキャストは可哀想だ。TBSはナレーションに元NHKアナウンサーの加賀美幸子さん(『LEADERS 』)や山根基世さん(『半沢直樹』)を起用して、成功しているが、彼女らとホラン千秋さんでは、資質が違う。向いていない人を起用するのは(絶対断らないだろうから)演出家の不実である。

(以下は筆者の妄想なので、嫌いな人は読み飛ばしてください)

ぜひ、『日本沈没-希望のひと-』には、微修正するところはして、成功してほしい。なぜなら、筆者はこの成功に乗っかって『日本以外全部沈没』(原典・小松左京、原作・筒井康隆)作りたいからである。金はもっと掛かる。なにしろ、日本以外が全部沈没するリアルなシーンを作らねばならないし、唯一浮かんでいる狭い日本列島に集まる世界の首脳(これはよく似た外構人俳優)、大スター(これは本物でいきたいなあ)を起用しなければならないのだから。

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