<「ぼっち」の何が恥ずかしいの?>「一人でいること」を「ぼっち」とネガティブに言う若者達の社会病理


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)]

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以前、筆者がツイッター(@fujimotokyo)で以下ような「つぶやき」を投稿した時のこと。

@fujimotokyo いつからか「一人でいる」ことを「ぼっち」などと呼び、ネガティヴに言う風潮が生まれた。「一人」や「孤独」が持つ価値を理解できない「本当に寂しい奴ら」の下らない「負け犬の遠吠え用語」に過ぎないのに、惑わされてる若者が多すぎる。現実社会は一人で居られない奴にこそ厳しく冷たいのだから。

すると、直ぐに多くの「リツイート」や「お気に入り」登録が集まり、ポスティングから一週間たったで100件近いリツイートがされた。何気ない気持ちで書いた「つぶやき」だけに、意外な反応にちょっと驚かされた。

それだけ、現代の若者達が「ぼっち」という現象・言葉に関心を持っている、ということの現れなのだろう。実際、京都大学の学食に「一人で食事をする専用の席=ぼっち席」が作られたことが最近でも大きな話題になったことは記憶に新しい。一人で昼食を食べているシーンを見られたくないので、トイレの個室で誰にも見られずに食事をする「便所飯」という現象も一時期、話題になった。

筆者は大学の教員という職業がら、当たり前のことながら、大学生と接する機会が多い。そういう中で痛感することは、学生たち・若者たちの「ぼっち」への恐怖心である。昼食を「ぼっち」で過ごしてしまうことへの嫌悪はもとより、授業選択で友達と関心が異なり、教室で「ぼっち」になってしまうことへの不安。放課後にたまたま遊ぶ相手が見つからず「ぼっち」で帰宅する不安。その根源にあるのは、一人でいることで、「ぼっちな奴」として回りから見られてしまうことへの恐怖である。

そして、そんな「ぼっち」を回避することが、彼ら・彼女らの意思決定の大きな要因となっているのではないか?ということに気づき、更に驚かされる。自分が本当にやりたいこと、関心があることがあったとしても、それが周囲の関心と異なってしまった場合、その決定(選択)により、自分一人(ぼっち)になってしまう可能性があれば、それを回避した選択をする。つまり、自分ややりたい事を放棄してまでも「ぼっち」を避けようとするのだ。

若者達にとって「ぼっち」という言葉・状態がいかにネガティブな用語であるのか。

しかし、この「ぼっち」とは別段、特殊な意味合いを持つものでないことは明らかだ。単に「ある場面において一人でいる」ということに過ぎない。言うまでもなく、一人でいる時間は決して恥ずかしいもので無駄なものでもない。むしろ、一人でいる時間は極めて重要だし、場合によっては一人でいる時間が不可欠な場面も少なくない。いわば「一人である」という時間を持つことは、人間として生きてゆく上で最も重要な時間のひとつであるはずなのだ。

それをなぜ「恥ずべきこと」としてネガティブに表現するのだろうか。

学生時代や若い時分はどうであれ、一度社会にでれば、一人でいられないような人間、一人で仕事を貫徹することができない人間などは相手にされないし、少なくとも出世はしない。一人でいることの「価値」を認め、それを十分に利活用できる人生を歩むことは、一人前の大人として生きてゆくことと同義だ。ある意味、一人前の責任と負担を受け入れるということをも意味する。

そう考えれば、一人でいることを「ぼっち」と呼び、恥ずかしむ風潮を支えているのは、そんな「大人になれないドロップアウト候補生」たちのネガティブ・キャンペーン、「さびしい負け犬の遠吠え」に聞こえてならない。大人に成りきれない「お子様たち」が自分の無責任で達成力のないことが許容される「子供時代」を延命するために、本来、重要な時間である「一人でいること」を「ぼっち」というネガティブ・ワードとして吹聴し、周囲の足を引っ張っているのではないか、と。

一人でいることの何が恥ずかしいのか? それに回答できる人はいるのだろうか。もちろん、「さびしい」と思うことはあるだろう。しかし、どのような状況であれ、一人でいられない人こそ恥ずかしいのではないか。

乳幼児はみな、側に母親がいなければ泣き出してしまうものなのだから。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。