<明石家さんま「60歳引退説」>エピソードから推測すれば 次は岡村隆史だ


高橋秀樹[放送作家]

 

明石家 さんまは1955年〈昭和30年〉7月1日生まれである。引退をほのめかす60歳まであと1年。なぜ「60歳引退説」を口にするのか、その理由をエピソードから推測してみる。さんまとはもう半年近く会っていない。舞台の楽屋で会ったその時の会話も「ほやあ!」「勉強させてもらいます」の2言だけであった。だからこれはあくまで推測である。

さんまが桂三枝(当時)が司会する番組に出演した。さんまの役目は中継先からリポートを入れることである。番組中盤ほどの中継で、さんまは現場を大いに盛り上げた。笑いもとった。意気揚々とスタジオに引き上げてきて、三枝の楽屋に挨拶に行った。当然褒めてもらえると思っていた。すると三枝はこう言った。

「ええか、さんま。番組中ちゅうのんはな、中継だけで、できとるんとちゃうんやで」

「欽ドン」である。当時売り出し中のさんまをゲストに呼んだ。欽ちゃんとの共演は、これまで見たことのない異様な爆笑に包まれた。さんまが独走する。飛ばす。欽ちゃんは必死でツッコミを入れる。番組が終わって主要スタッフが欽ちゃんの楽屋に集まった。そこで欽ちゃんは珍しくこう言って怒った。

「俺をつぶす気か」

ジミー大西はさんまの運転手をしていた。さんまがジミーをかわいがっているのは誰の目にも明らかだった。ある日、マネジャーがジミーを食事に誘った。

「ジミーさん、赤坂で飯でも食いまひょか」

ジミーは答えた

「赤坂ですか?赤坂はあきまへんねん。赤坂はダメです」

「なんで赤坂はダメなんですか」

「さんまさんがTBSで収録してますねん」

ジミーは赤坂という地区にさえ、足を踏み入れることが出来なかった。

「笑っていいとも」に、さんまとタモリが雑談だけするというコーナーがあっった。さんまがボケとツッコミを両方やって、タモリはニヤケ(傍観者・普通の人)に回る。コンビは絶妙で面白かった。ところがある日スタッフが余計なことをした。素人からの葉書を入れたのである。とたんに面白くなくなった。

「タモリンピック」というコーナーもあった。一生懸命ゲームをやって成立する「笑わせる」のではなく「笑われる」コーナーであった。あるディレクターにこう言われてさんまは絶句した。

「さんまさん。もっと真面目にやってください」

時間の前後関係が違っているかもしれないが、さんまはダウンタウンの松本人志に電話をしてこう聞いた。

「お前ら、辞めたらしいな、どないしたら、『いいとも』辞められんねん?」

ドリフターズの稽古が長時間に及ぶ厳しいものであることは誰でも知っていた。最終の通し稽古のことである。スタッフは演者たちを盛り上げようと(または、稽古が早く終わって欲しくて)大きな声で笑う。いかりや長介のギャグに豊原ディレクターがひときわ大きな声で笑った。通し稽古が終わっていかりやは豊原Pに近づいて来ると耳もとに口を寄せてこう尋ねた

「豊原、ほんとにおもしろいか?」

豊原ディレクターは嘘のつけない人だ。

通し稽古はやり直しになった。

僕は豊原ディレクターが大好きだ。

チャップリンが犬と共演する映画をとった。名犬だった。素晴らしい動きに、スタッフ皆、笑いをこらえるのに必死だった。編集が始まってチャップリンはモノも言わずに犬の出るシーンをすべてカットした。

自分を脅かすような、次が出てこないのである。だから「60歳引退」なのである。しかし私は次は岡村隆史であると考える。岡村が浮気をせず、笑いだけを向いているからである。メチャギントンに出演したさんまは必死で岡村を挑発していた。

「壊せ、壊せ、壊せ、面白すぎて本来の企画をやる時間がありませんでした。それが一番面白いんだ」

少なくとも編集されたその番組で岡村はさんまの挑発に乗ってこなかったように見えた。

番組は本来の企画に戻って終わった。

 

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