本人たちは真面目にやっているつもりでも、下手くそすぎて笑えるミュージカルは「天然ボケ」である


高橋維新[弁護士]

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「VOW」(宝島社)というシリーズ本を御存知だろうか。

ハガキ職人界隈では比較的有名な本で、「街中のおもしろいものの写真」を集めた書籍である。写真は、基本的には読者からの投稿によって収集している。

VOWに掲載されている「おもしろい写真」には、直感的に「面白い」というものが動物的な感覚で選ばれているので、その種類には様々である。しかし、大まかにパターン分けをすることはできる。

例えば、新聞・雑誌等の公刊物の「おかしな誤植」。これはVOW内でも一大分野を為している。また、田舎にあるような微妙にセンスのずれた「看板」や「注意書き」もそれに次ぐ。他にも、外国人(特にアジア人)が中途半端な日本語で不正確に訳した「間違いだらけの日本語」というのもよくあるパターンの一つである。

これらは、全て「天然ボケ」である。

筆者が「天然ボケ」と言った場合、その意味は日常用語的な意味の「天然ボケ」よりも広い。日常用語的な意味の「天然ボケ」は、単なる言い間違いや勘違いのことであろうが、筆者が考える「笑いの理論体系」に置いて定義づけられた「天然ボケ」はこれに限定されない。筆者は、「作り手が受け手を笑わせることを意識して作ったわけではないが、受け手に笑いを呼び起こしてしまうもの」を全て「天然ボケ」と考えている。

例えば、「本人たちは真面目にやっているつもりであるが、下手くそすぎて笑えるミュージカル」は「天然ボケ」である。作り手は受け手を笑わせることを意識してミュージカルを作っているわけではないが、結果的には受け手を笑わせてしまうからである。

「真面目に作ったのにクオリティが低すぎて笑えるクソゲー」も「天然ボケ」である。「本人はひたすらドイツ語で実況しているだけであるが、日本人が聞くとおもしろい空耳になる」というのも「天然ボケ」である。

ここまで読んですでにピンと来た方もいるだろうが、2ちゃんねるやニコニコ動画といったインターネットコミュニティは、この「天然ボケ」を笑う文化が非常に発達している。それは、決して「天然ボケ」の特性とは無関係ではない。

「天然ボケ」の対義語として、「人工ボケ」というものを定義してみよう。それはズバり、「作り手が受け手を笑わせることを意識して作ったボケ」のことである。否定的な意味を込めると、「ウケ狙い」という日本語になる。

「天然ボケ」と「人工ボケ」を比較すると、表裏一体の長所と短所をお互いに持っていることが分かる。

「人工ボケ」の短所は、なんといっても「これからおもしろいことをやりますよ」と受け手に宣明してからボケが展開されるために、受け手のハードル(=期待地平)が上がってしまうということにある。「コント」と銘打たれたコント番組の視聴者は、「コント番組」を見る以上、これから自分の眼前で何かおもしろいことが展開されるのだろうと期待して、ハードルを上げる。そうなると、並のボケでは太刀打ちできなくなってしまう。

これを回避するための一つの手段が「ドキュメンタリーコント」であるというのは以前の別稿で指摘したところである。もう一つの手段が、「天然ボケ」を用いるということになる。

「天然ボケ」の長所は、「人工ボケ」の短所の裏返しである。受け手は、「これからおもしろいことをやりますよ」と宣言されているわけではないので、油断している。ハードルも、低いままである。ここに「天然ボケ」という形で奇襲をかければ、全く同じことをやる場合であっても、「人工ボケ」の場合より笑いを呼び起こしやすいのである。

テレビのバラエティは、基本的には「人工ボケ」の世界である。作り手は、視聴者を笑わせるために日々頭を捻っている。それはそれで素晴らしいことだが、数十年にわたってテレビの人工ボケの世界に触れてきた視聴者たちは、そのハードルが上がりに上がってしまい、最早並大抵の「人工ボケ」では笑えなくなっていた。少なくとも筆者はそうであった。

そんな視聴者の心の隙間に入り込んできたのが、インターネットにおける「天然ボケ」の世界であったのだろう。読者は自分の笑いたい欲求を最早満たしてくれることがなくなったテレビから離れ、ネットの世界に活路を求めた。

ニコニコ動画や「笑えるコピペ集」や「おもしろ画像集」の世界に耽溺するようになった。昨今のテレビの衰退とネットの隆盛には、こういった流れがあったと筆者は考えている。

「天然ボケ」にも、当然ながら短所がある。基本的には偶発的に起こるものなので、コンスタントな笑いを提供できない。コンスタントに笑いを提供しようと思ったら、数を集める必要がある。

もう一つの欠点として、受け手を笑わせようとして作られているものではないので、どこがおかしいところなのかを受け手に気付いてもらえない危険性があるということである。

ただインターネットは、これらの欠点を補填するのは得意なメディアであった。まず「数を集める」という点については、昨今の携帯端末やソーシャルメディアの発達に伴い、ネットの世界に天然ボケの情報がどんどん蓄積されていくことで克服された。一人が見つける偶発的な天然ボケは一つでも、それが容易に集積・共有されるようになったのである。

後者の点については、ツッコミで何がおかしいかを指摘してやればよい。このツッコミの機能を典型的に担っていたのは、ニコニコ動画の「コメント」機能である。視聴者はこのコメント機能で、下手糞なミュージカルのどこがどう下手糞でどうおもしろいかを指摘し続けた。これは、紛れもないツッコミであった。

 

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高橋維新(たかはし・いしん)弁護士、コラム二スト。1987年、東京生まれ。2006年、東京大学法学部入学。2010年より「マヒ郎」のペンネームでファミ通町内会へ「ハガキ職人」として投稿を始める。現役ハガキ職人を続けながら、2012年に司法試験合格。2013年、弁護士登録(函館弁護士会)。ファミ通町内会長(第5代)。