<もっと怒れ、日本人>提訴後13人もの死者を出しても怒らない日本民衆の我慢強さ


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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私がスーパーヒーローたちにこだわる理由は、彼らが権力に対して、抵抗、反抗、反逆、という意志を明快に持っているということに尽きる。もちろん彼らとて人間、弱さを持っていることは重々承知している。それはかまわないのだ。権力と闘いながら、己の弱さとも闘っていけばいいのだから。

が、生活者とは「自分と自分の家族の幸せのために生きる」人たち。その自分自身も、自分の家族も、「行政の不作為」というべきか「棄民政策」という権力の体質そのもののせいで、提訴後13人もの死者をだしている。それなのに、権力に向かう姿勢を持たない、というところが、私には理解できない。

足かけ7年「大阪泉南アスベスト国家賠償訴訟」を闘う人たちの取材・撮影を続けながら、何度も私は頭を抱え込んだ。

一例を挙げる。

今年の5月後半から6月にかけて原告団は「田村はん(田村憲久・前厚労大臣)、会うてんか!」行動を展開した。その時点での田村厚労大臣に面会を求め、直接、訴えを聞いてもらいたい、と行動目標を設定したのだ。原告団のメンバーが、1泊、あるいは2泊で交代、上京して厚労省前でアピールして、厚労省側と交渉するというパターン。

応対にでたのが下っ端の役人。

「厚労大臣に直接会って自分たちの訴えを聞いてもらいたい。大臣が無理なら責任者の人でもいいから、取り次いで下さい!」

と、懸命に訴えるが、役人は、“嵐が去るのをひたすらじっと耐えて待つ”という風情。彼らはアスベスト問題のことをほとんど知らない。

そんな役人相手に懇願すること、15日間。私はその様子を撮影しながら、役人の態度に腹が立ったのは言う間でもないとして、原告団のメンバーに、もっと怒れ!と幾度も悔しい思いをしたことか。時々、声を荒げることはあったが、設定された面会時間が過ぎると、

「じゃあ、また明日、来ます。今日はありがとうございました。」

と丁寧に頭を下げて引き上げていく。ニッポンの民衆の何という我慢強さよ。福島の被害者たちの礼儀正しさと忍耐強さに世界の称賛が集まったが、ここでも全く同じだ。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。