<映画にある2つの選択肢>ドラマの監督は一人だが、ドキュメンタリーならみんなが監督


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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 友達の友達はまた友達…というような縁で2008年から3年間かけて、滋賀県近江八幡市で、いわゆる“地域活性化”、つまり“町おこし”の一環としての映画作りに関わった。

いや、単にお手伝いをしました、なんていうレベルではなく、もっと深い関わりだ。完成版には私の肩書きに「企画・監修」とクレジットされているところから分かるように、このプロジェクトを引っ張ったのは私なのである。いえ、別に自慢したいわけではない。このプロジェクトで私が追究したかったことを話したいのである。

このプロジェクトの受け皿は、「*YUI-GON**プロジェクト」を名乗っているが地元・近江八幡を愛する青年たち(というより「おじさん」だが)が主体のボランティアの人たちだ。

彼等から相談を受けた私は、

「選択肢は二つあるんだが」

と彼等に説明した。ドラマを作るか? ドキュメンタリーを作るか? である。

もし、ドラマを選択したら? シナリオは市民に募集という形をとればいい。が、スタッフを組んだ時に監督は一人なので、どうしてもピラミッド構造になってしまう。

ドキュメンタリーを選択した場合は? 監督は必ずしも一人でなくてもいい、つまり、被写体の対象を一人に絞らずに複数という考え方をしたときに、スタッフも複数のグループを作ることができる。

市民に映画作りを呼びかけるという前提なので、監督を中心に一つのピラミッド型のスタッフを作るよりは、小さな人数でも多くのチームを組み、参加した市民たちが対象と関わることから始めて、どう撮るかのプランを練って、それからカメラを回す、という映画作りの全体を知ることが彼等にとってもオモシロイはずだと考えたのだ。

「カメラの後ろ側でも映画作りを体験できます」というウリだった。私のアドヴァイスを受け入れて、ドキュメンタリーをやろうという基本的な方針は決まった。

さて、題材をどうするか? である。

私は「遺言」を撮ろうよ、と提案した。遺言といっても死後の財産分けとかいうことではない。土地の年寄りたちは、残りの人生の時間は少ないわけで、その残された時間の中で何かしたいことはないか? これまでの人生の中でし残したことはないか? と聞き出して、それをやってもらおうよ、と。

そのやりたいことを具体的にアクションする過程を撮ることが、その人の人生のこれまでの歩みを検証することである。アクション自体が、その人のホントの意味での遺言になり得るはず、というのが私の考えだった。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。