<テレビ業界を去ってゆく人たち>テレビ業界が若年層が多く高年齢層が少ないピラミッド構造を形成している理由

社会・メディア

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

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かつて、大阪からやってきたテレビマン志望のある若者から、

「僕、性格が暗いのです。だから大阪にいることがつらくなって東京へ出てきたのです。ギャグでも言わなければいじめられそうな雰囲気には付いていけないのです。東京へ出てきて楽になりました」

という話を聞いたことがある。
彼はしばらくテレビの仕事をしていたが、一年ほどでやめてしまった。どこか違う会社に移っていったのだろう。人との折り合いがあまりよくなかったようだ。みちろん、彼の苦手なギャグを強要されたわけでもない。ただ開放的な性格ではなかった。今もテレビマンを続けているだろうか? と思い出すことがある。
さて、成功しているテレビマンを見ると、どちらかというと「暗いほうの人」が多いような気がする。どこかに穴がないか、これで本当に受けるか、そんなチェックばかりして育てられた人に明るい人はそう多くはない。自分を売り出すなら、どこか楽天的でなければやっていけないが、テレビマンは他人を売り出すのだから、慎重にもなる。当然といえば当然だ。
筆者が知るだけでも、多くのテレビマンがこの業界から去っていった。定年という物理的な制約で去っていった人もいるが、それはたぶん本当に一握りの人だ。定年まで勤め上げることができたわけだから、恵まれた人だといえる。しかし、その反面で、いつも若年層が多く、高年齢層が少ないピラミッド構造が形成されているのは、多数の離脱していく人間がいるからに他ならない。
では、定年を待たずに去っていった人たちというのはどういう人たちなのか? テレビ業界に向いてない人間が去っていくのだろうか、と言われれば、経験的に、そうとは一概には言えない気がする。更に言えば、むしろ逆のような気さえする。「向いている人間」こそが去っていく。向いている人間が必要とされる仕事がなくなるからだ。向いていない人間は仕事を変えていくことが出来る。だが、向いている人間はそれが出来ないのだ。
職人は数多く必要ないのだ。そして職人が上に立つこともない。
かつて、生活くさい人間を追いかけるのが好きなディレクターがいた。人より多くの時間を取材にかけた。番組作りにこだわった。もちろん、その「こだわり」を収納できる番組が続いている間は、彼は有能なディレクターであり続けた。
例えば、彼はある番組で夜行列車を追いかけたことがある。暮れに東北に向かう列車にのった人々を追いかけるという番組だ。インタビューを繰り返し十数両の列車が青森に着くまでを番組にした。そこには様々な人生があった。
ドキュメンタリーでそのようなことを行うのはそれほど簡単なことではないが、彼は、人に対する執着が強いディレクターだったわけだ。見事に番組として作り上げた。東京で一年間働き、みやげ物を一杯買ってやっと故郷に帰る大人たちへの共感もあったのだろう。放送された番組を見ていると、故郷へ帰る実感を自然と共有できるような気がした。
だが、十数年続いたその番組が終わり、しばらくして彼はテレビの業界を離れた。もしかしたら、彼を迎え入れてくれる番組がなかったからなのかもしれない。彼は器用な人間ではなく、しかも理屈っぽい人間だった。衝突することも多かったのだろう。
今になって、彼はテレビの業界に向いているのか、向いていないのか、と考えることがある。やはり「向いていない」とはいえない。たぶん向いているのだ。だからこそ、こんなにこだわった取材が出来たのだから。普通はこれほど執着することは出来ない。取材した気の遠くなるような量の取材テープを編集室に持ち込み何日も何日も編集し続ける。その根気は向いてなければできるはずがない。
集中できるということも一種の才能だ。環境にアジャストできる人間が向いている、アジャストできない人間が向いてないとはどうしても思えない。しかし、こういう才能を受け入れる番組は少なくなってしまった。そしてこういうタイプは嫌がられるようになってしまった、ということなのだろう。
これは、ある意味自然なことといえる。こだわりを受け入れる余裕は今のテレビ業界にはない。たぶん、こだわりすぎるのは失敗が多くなるからだろう。しかし、突破力はそういう所にこそある。どこか似た番組ばかりになった今、そのこだわりが必要かもしれない。
冒頭に書いたような「大阪人で、ギャグについていけない人」もいるのだ。しかし、そういう所にも突破力はあるかもしれない。
 
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