<メジャー契約の4年提示を断った投手>約束を果たしに広島カープに戻ってきた黒田博樹

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水戸重之[弁護士/吉本興業(株)監査役/湘南ベルマーレ取締役]

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2月1日は、プロ野球ファンにとっては待ち遠しい日だ。春季キャンプが一斉に始まるからだ。

今年も多くの球団がキャンプをする沖縄を訪れた。練習試合も含めて、駆け足で、巨人、阪神、ヤクルト、中日、広島、楽天の各球団を観ることができた。

2月の沖縄は「意外と」寒い。正確に言うと、「朝・晩・日陰の風」が寒いのだ。島特有の海風の吹きぬける球場では防寒具が必要だ。寒がりの筆者は、早朝から長時間球場にいるときは、ヒートテックのタイツに靴カイロと万全の態勢で臨む。風が止んで日差しが強くなると、とたんに暑くなる。
スポーツ紙の一面には人気選手のキャンプでの調子が大げさに書かれ、いやがおうにもペナントレースの開幕を待ち遠しくさせる。米国メジャーリーグの方はキャンプインが2月中旬と日本に比べて遅いこともあり、2月の前半はスポーツ紙各紙の一面は連日、日本のプロ野球情報ということになる。
キャンプは、選手とファンの距離が一番近づく場所だ。
選手たちもまだ真剣勝負ではない時期ということで、緊張感のある中にも平穏ムードが漂い、自然とファンとの距離を縮めている。チームの宿舎となるホテルには、キャンプ見学に来たファンが、バスで練習から戻ってくる選手を捕まえようと、手に色紙やカメラを持ったり、選手ユニフォームにキャップといういでたちでロビーに待機する。
2月18日(水)朝、広島東洋カープがキャンプをはる沖縄市(コザ)へ向かった。
報道陣の数が多いのは、もちろん、黒田博樹を取材するためである。歓迎する地元が、挨拶のときにメジャーから復帰した黒田の名を口にするのは自然だが、球団が黒田を特別扱いしていないことに好感が持てた。黒田自身の望むところでもあろう。
しかし彼に熱い視線を向ける報道陣やファンはそうはいかない。
名門のLAドジャース、NYヤンキースでのメジャー生活7年を通じて先発ローテーションを守り、通算79勝。今年残れば年俸20億円に手が届くのでは、と言われた男がこの地にいるのだ。
ブルペンに移動するや否や、あっという間に報道陣とファンの数が膨れ上がる。ブルペンを上から覗ける高台にも、ファンが連なっていた。簡単なキャッチボールの後、キャッチャーを座らせて、テンポよく投げ込んでいく。37球。1球ごとに記者たちが小声で「ストレート」、「カーブ」、「今のはスライダー?」、「(同じ球種は)何球ずつ?」、球の握り方を見て「ツーシーム」、などと確認しあう。報道は事実が基本だ。
ブルペンを終えた黒田は、キャッチャー後ろで見ていたご高齢の女性と長い間談笑していた。オーナー筋の方だろうか。そのあと、解説の江夏豊氏(そういえば「江夏の21球」は広島時代だったなぁ)や江本孟紀氏らプロ野球OB陣に丁寧に握手をして去って行った。あっという間に引いていく、報道陣とファン。
2007年オフ、メジャー移籍を決意した際、ドジャースから4年契約を提示されながら広島に戻るかもしれないから3年契約でお願いします、と言ったとき、エージェントも耳を疑ったという。
メジャー契約で4年というのは、入団してすぐに怪我で休養し続けても4年間は年俸をもらえるということだ。怪我などいつ何があるかわからない投手にとって保証は長い方がありがたい。それでも3年で、と言い切ったのは、広島への思いがあったから。それが軽いものでなかったことが、今年証明された。
その年、つまりは日本プロ野球最後となったシーズン、広島市民球場の外野席に巨大な横断幕が貼られた。

「我々は共に闘ってきた 今までもこれからも

 未来へ輝くその日まで  君が涙を流すなら 君の涙になってやる

 Carpのエース 黒田博樹」

そして、シーズン最終登板試合。満員のファンが黒田の背番号「15」の赤いプラカードを掲げ球場を赤色に染め上げた。マウンドにはカープレッドのユニフォームをまとった黒田博樹が、表情を悟られまいとでもするように、キャップを目深にかぶって立っていた。
その日のスタンドは、おそらくは広島という町に掲げられた史上最も美しい「赤」の光景だったろう。
その黒田が約束を果たしに広島に戻ってきた。
広島東洋カープの開幕戦は、3月27日からホーム、MAZDA ZOOM-ZOOMスタジアム広島での対ヤクルトスワローズ3連戦。黒田博樹の登板は第2戦か第3戦か。迎え撃つ相手チームも、黒田何するものぞ、と向かっていくだろう。
サムライたちの熱い季節が始まる。
 
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