<AKBな都知事選>石田純一という「軽い神輿」を誰がかつぐのか?

政治経済

保科省吾[コラムニスト]
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東京都知事選に出馬の意志を示した俳優・石田純一氏の会見を興味深く見た。
筆者の興味の中心は石田氏が「野党統一(民進・共産・生活・社民)の推薦を得られなければ当選しない」ということを、どういうことばで表現するかであった。「当選しそうもないなら出ない」と言っている人を誰も候補になどしないからだ。
結局、石田氏は次のように表現した。

「現状、野党がバラバラでは(与党に)勝てない。思いを力に変換できない」

なるほど「思いを力に変換できない」か。筆者はこの表現に石田氏の打算を見てしまったが、もっと、素直な見方をする方が正しいのかもしれない。
現状、政党からの出馬要請は「ないです」と言う石田氏だが、名指しされた野党側は、岡田克也民進党代表が「安保法制反対の時に堂々と国会の前でマイクを握った、すばらしい人だ」と賛美、共産党幹部が「会見の内容は良かった」(7月9日付け朝日新聞朝刊による)と、いずれも好評価だ。
1989年に海部俊樹首相が誕生したとき、現在の生活の党代表の小沢一郎は「担ぐ神輿は軽くてパーがいい」と言ったとされているが、石田会見をテレビで見た野党幹部は「軽い神輿、見つけた」と喜んだのではないかと筆者は推測してしまう。
「軽い神輿」は即ち、言うことを聞く操り人形だ、ということだ。
【参考】「やっぱり、自民党しかない」という発想は「変わらない日本/変われない日本」の象徴
しかし今、「軽い神輿」を望んではいない都民が多いのも事実。参院選の結果次第で野党の推す候補は変わるだろうが、「軽い神輿」を候補にしたら、落胆して野党共闘の支持から離れていってしまう人も多くいると思われる。
思えばこのところの都知事は青島幸男氏、石原慎太郎氏、猪瀬直樹氏、舛添要一氏と、みな「AKB総選挙」のような人気投票で選ばれてきた。人気投票でしか選びようが無かったと言い換えてもいいかもしれない。
政治家や政治家になろうとする人には、この人気投票での候補者選びには、もう嫌気がさしている有権者が少なくない、ということに気づくべきだ。
自民・公明は小池百合子氏、増田寛也氏の分裂選挙になりそう。宇都宮健児氏も虎視眈々とその座を狙っている。この乱立ぶりを見ると、石田氏の言うような「野党統一」なら「思いを力に変換できる」かも知れない・・・と思えなくもない。
しかし、誰が都知事になるにせよ、「軽い神輿」が行う思いつき都政には、もう都民がついていかない、ということだけは確かだろう。
 
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