今のニュース番組の編集長ならAIでも代替できる

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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AI(人工知能:Artificial Intelligence)が、ムーアの法則に従うとしたら、その進化は加速度的に進むであろう。ということは大方の科学者の認めるところである。
AIは人間の脳の神経細胞のネットワークを徹底的にエミュレーション(模倣)して、作り上げる方法と、それとは別なアルゴリズムでゼロから作り上げる方法が考えられる。
どちらにしろ、AIはいつか人間の頭脳を超えるかも知れない。その時点をシンギュラリティ(技術的特異点)という。AIが人間の能力を超えることで起こるシンギュラリティは2045年にやってくるという説もある。
こうなった時、AIと人間の脳はどこが違うことになるのだろうか。目的設定力であるという考え方がある。ただし、それでさえAIにとっては可能であり、意識を持つかどうかの区別であると言う説もある。
【参考】『<インターネット>の次に来るもの』が予測するAIの広がり
果たしてAIは意識を持つことが出来ないのか。意識を細分化して考えてみる。
イギリスの哲学者、経済学者、法学者であるジェレミー・ベンサムの考え方を援用すると意識の中の「苦しみ」「苦痛」はAIには持ち得ないのではないか、という考えもある。
ドイツの哲学者ニーチェは、人間は無限に繰り返し、意味のない、どのような人生であっても無限に繰り返し生き抜かなければならない存在(永劫回帰)で、それを超越した人間が強者として「超人」になるという概念を提唱したが、これを敷衍すると、AIはニーチェの言う「超人」かもしれない。
さて、AIがすぐにでも代替出来そうなのがニュース番組の編集長である。この時、AI編集長の目的は「視聴率の最大化」である。これなら得意のビッグデータを駆使して最大多数の大衆を獲得できるニュース項目を選び、どのくらいの長さを放送すれば良いかは自動的に決めることが出来るだろう。
ただし、ニュース番組の目的が「人間の世界を少しでも住みやすくすること」だったらどうだろう。これはAI編集長には、少し荷が重すぎるのではないか。
マイクロソフト社が今年の夏、公開したAIの開発原則には次のようにある。

「他者に共感できる力をAIが身につけるのはきわめて難しい。だからAIと人間が共生する社会に価値を持つよう(人間は)AIを開発せねばならない」

ただ、こういう開発原則は経済や資本主義の要請によって容易に変わることも人間は知っておかねばならないと、筆者は思う。
 
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