<笑いの技術>BS NHK『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』から考える

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家/発達障害研究者]

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笑いの芝居をつくろう。コントで笑いをつくろう。これは実はどちらも同じことで、プロと呼ばれている人はよく知っていることだ。しかし、プロになりかけの人やプロを夢見る素人が意外と知らないことがあるので、本稿を書いてみたいと思う。

BS NHK『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』を見てもらうと、よく分かるが、客前の笑いの芝居やコントで、最も大事なのは設定である。設定には、

*状況設定

*人物設定

*場所設定

*時間設定

などがあるが、これさえ決まっていれば、脚本などなくても、後は勝手にストーリーが動き出すのである。(ドラマも含め、と言うと怒る人がいるかも知れないが)脚本はこうなればいいという作者の覚え書きのようなものに過ぎない。ただ、長々と設定フリをやっていると、笑うまで時間がかかるということになってしまうので、端的にフる。

「足軽で出てきて」

ツッコミ(フリ)にこう言われたら、あとは、ボケ(受け)が・状況設定・人物設定・場所設定・時間設定すべて考えて(背負って)舞台に登場しなければならない。これは酷なことであるが、出来なくては、軽演劇の舞台には立てなかった。ツッコミとボケと言う関西風の役割分担も誤解を生んでいるかも知れない。ツッコミはフリ役であり、ボケはをフリを受けてこなす役である。

設定には設定クサく(説明セリフと言って、どこでも嫌われる奴である)してはいけないという決まりがあるから上記のように「足軽で出てきて」とは、決して言わない。

「おい!足軽」

と言う。欽ちゃんは演出家の役で、あるいは、演ずることなく素の演出家として登場しているから「足軽で出てきて」と言うのである。この番組の欽ちゃんの立ち位置については私見を後述する。

設定には、時々刻々変わる設定もある。否応なしに演者に影響を与える、客席のリアクションという名の設定である。これには対処した方がいいのか、しないほうがいいのか、迷うだろう。正解は余裕のない人は無視すればいいと思う。あなた以外に余裕のある人がもう一人くらいは舞台上にいるはずである。その人に尻を持たせるというのも2人以上の集団で笑いをつくる利点である。

[参考]NHK『欽ちゃんのアドリブで笑(ショー)』に期待すること

さて、設定があって、その設定を動かすに当たって、演者が第一の選択肢にすべきなのは動き(芝居)である。日本映画の父と言われる牧野省三監督やその遺訓を受けた「仁義なき戦い」の脚本家笠原和夫氏は、映画の三代原則を「スジ、ヌケ、動作」だとするが、これは舞台の笑いでも同じ。スジは、脚本、ストーリーで設定にあたり、ヌケは、キャメラや現像、撮影、笑いではセットであり、動作はともに役者・演者の芝居のことである。

この動き・動作・芝居たるものをどうやればよいか。その芝居自体をおかしさを狙ったものにする(例・笑わせようとして変な顔をする)のは、まずダメなのは分かりやすいかと思うが、これをやってしまう素人は数多い。なぜ、その芝居をしたのか、設定(フリ)の結果を見せることがまずまずで、最もよいのはその芝居をした先にある目的を感じさせる芝居をすることであると思う。設定の先の設定、フリに対するさらなるフリである。ふしぎなことだが、あるいはふしぎでも何でも無いことだが志村けんさんの「変なオジさん」は、明らかに芝居の先を見せる芝居である。

アドリブについての誤解もあるので述べておく。稽古をしないでやることをアドリブというのではない。むしろ逆だ。見えないところで何度も何度も稽古をして、どう動いたらいいかの脳内シミュレーションも数限りなく行い、その引き出しに溜まった中から最適解を繰り出す。それが笑いの芝居におけるアドリブだ。

アドリブ(ad lib)とは、特にジャズで、演奏者が楽譜にない演奏を即興的に行うことだから、脚本が無い無軌道と同じに捉えられてしまうが、そこには脚本も楽譜もあるわけで、稽古はしていないように見せるのが洒落ているというだけだ。

ちなみにテレビの笑いの場合、稽古を重ねても構わないが、むしろ稽古を重ねたほうがよいが、おもしろいのは、最初の本番。以後、撮り直しなどすればするほどつまらなくなる。これは経験則だ。

最後に、この番組の欽ちゃんの立ち位置についての私見である。

サッカーの監督は大抵背広を着ている。この監督は通常試合には出ることがないからである。しかし欽ちゃんはこの番組で試合に出ている。監督コントというジャンルがあるがこの場合の監督は演者である。野球にはプレイングマネジャー(選手兼任監督)というのもあるが、この場合ユニフォームを着ている。欽ちゃんには扮装をして欲しい。

 

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