<「民営公共」という矛盾>「民営刑務所」と「民営Fランク大学」

社会・メディア

物部尚[エッセイスト]

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日本にも最近、民営刑務所(山口県・美祢社会復帰促進センター)ができたらしいが、アメリカには多くの民営の刑務所がある。

民営の刑務所だから利潤を生むことが目的である。するとどうなるか。囚人が社会に出てからの更生・社会復帰の職業教育など、金のかかることには積極的にならない。社会で更生できるスキルを得られず、よって囚人が再生産されるのが現状だ。

日本でもそれが分かっているから刑務所とは名乗らず、あえて社会復帰促進センターと呼称するのである。このセンターが本当に社会復帰に熱心だとしても、ここに入る囚人はどう選別されるのか。この選別が民主主義によって行われるとは思えないし、裁判所が決めるとしたら、恣意的な差別である。

[参考]「コロナ後の絆」の美名で東京五輪・パラリンピック強行?

この「民営公共」と言う語義矛盾を教育に当てはめて考えてみよう。

「Fランク大学(偏差値の算出が困難な低レベル大学)」がある。誰も行きたくないような大学だから「Fランク」であることは明白であり、つまり、本来、教育機関としては人気もニーズもない大学、ということになる。しかし、このような民営大学が設置される目的は、学生数だけむやみに増やして授業料を払わせて利潤を得ることにある。場合によっては、奨学金という名の学生ローンで一生縛り続けることが出来る。

大学教育には職業教育の側面もある。最近では「キャリア教育」という名前で重要視されているものだ。つまり、大学で常識教養を涵養するのである。しかし、そういったことを真剣にやるにはやはり手間も費用もかかる。教育機関としては人気もニーズもない、利益追求のためだけに存在するFランク民営大学にそれをやる気は本当にあるのだろうか。

「民営公共」と言う語義矛盾は、恐ろしいことに「民営刑務所」と「民営Fランク大学」で同じ構造を持っているのである。どちらも泥沼。気づいた者から早く抜け出した方がいい。

こういうことを民間に任せてはいけない。自主独立は担保した上で、税金を大胆に投入すべきだ。この案に賛成してくれる政治家は一体誰だろう。

 

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