<放送作家世代論>井上ひさし、景山民夫、鈴木おさむ、高須光聖、そして…。
高橋秀樹[放送作家]
バラエティ番組の放送作家には、特に決まった周期は存在しないが、世代ごとに層の厚い時代区分がある。
まずテレビ創世記の世代。井上ひさし、小林信彦、前田武彦、永六輔、大橋巨泉、塚田茂、城祐輔、河野洋。キラ星の如き名前が並ぶ。小説家や劇作家、演者に転じた人も数多い。
作家性が重んじられた時代であり自らを脚本屋(ホンヤ)と自嘲的に呼んだが、脚本は絶対で、演者はその脚本を基本的には一字一句違えずに演じた。生放送が主体なので、放送台本どおりやらないと時間に収まらないという側面もあった。代表番組として「シャボン玉ホリデー」「光子の窓」「夢で会いましょう」「11PM」をあげておく。
その次の世代は昭和25年前後の生まれの世代。大岩賞介、詩村博史、永井準、鈴木しゅんじ、の4人が所属したパジャマ党。玉井冽、高田文夫、景山民夫、大田イサム、河村シゲル。松岡孝、浦沢義雄など。代表番組としては「欽ドン」「欽どこ」「カックラキン大放送」「ゲバゲバ90分」「8時だよ!全員集合」タレントとしては萩本欽一、ザ・ドリフターズ。テレビの黄金期であった。
そして昭和30年前後生まれの世代。水谷龍二、福岡秀広、高橋秀樹、腰山一生、鶴間政行、清水東など、この世代はテレビにまだ予算が湯水にあった頃を経験している世代である。だからギロッポン(六本木)でも遊んだ。予算があるせいだろう、作家をたくさん使うのが、番組のステータスのようになっており、前世代の作家もまだ生き残っており、その余録で食っていたと言ってもいいかもしれない。「オレたち ひょうきん族」が始まったが、前世代の作家と、この世代の作家の混合チームであった。
放送作家という名は脚本家を呼ぶものであり、これらバラエティの作家は構成作家あるいは、センセイと呼ばれていた。タレントは明石家さんま、島田紳助、古舘伊知郎、所ジョージと、層が厚い。ビートたけしは年上であるが遅れてやってきたので、この世代の作家との親和性は高い。
その次の世代は昭和35年以降の生まれである。鈴木おさむ、高須光聖、小山薫堂、鮫肌文殊、田中直人、都筑浩、樋口卓治、高瀬真尚、小笠原英樹、福原フトシ。やらせ、捏造問題も頻発した。TV局の予算がどんどん削られていく過程を見ている世代である。
放送界を書くことを主業としているフリーライターに「テレビを悪くしているのは作家が口を出してその通りやらせているからじゃないですか」と聞かれて「作家は決定権を持っていません。もしテレビが悪くなっているとしたら、一番の責を負うのはプロデューサーです」と答えたことがあるが、今、冷静になって考えてみると、作家にも、もちろん、責任がある。
今は、この世代がまだ、バラエティの第一線に踏みとどまっている。その理由は作家の生き残りのために頑張っているからとも言えるが、それはテレビ全体にとってはあまりいいことではない。次の世代が育っていないから新陳代謝が行われないのではない。テレビ局の金がなくなって、冒険をしなくなったからである。
テレビ局側は冒険を嫌ってすでに評価の定まった作家と組みたがる。若いディレクターが、自ら発掘した若い作家と組んで番組をやるなどということは、これから起こるのだろうか。 起こってくれなければテレビの未来はない。
ところで、今は、作家を使わないで番組をつくろうという潮流があることも最後に書き添えておく。
【あわせて読みたい】