芸能人のマネジャーと政治家の番記者は同じである
高橋秀樹[放送作家]
自分は別に偉くなっていないのに、偉くなったと勘違いする人たちがいる。芸能人のマネジャーと、政治家の番記者である。自分が付いている人と自分を同一視して、いつの間にか権勢を振るうようになっても、それが後ろゆび指されていることに気づかない点でも同じである。
「そんなこと、○○さん、やるわけないでしょう」
「そんな番組、○○さん、出るわけはないでしょう」
少々言葉は悪いが「おまえは。本人か」と突っ込みたくなる。と言うのも、別ルートで本人に当たってみると、たいていの要望は聞いてくれるからである。
しかし、この別ルートを使うことは危険を伴う。マネジャーや番記者が、面目をつぶされた、仕事をないがしろにされた、と、大騒ぎするからである。主人と直接話できるのは自分だけだと、吹聴しているからである。
だんだん、語気が強くなるが「おまえの主人は金日成か」と、言いたくなる。
ところで、吉本興業のマネジャーは芸能人の鞄を持つことは決してない。なぜなら付き人ではないからだ。マネジャジャーの仕事は、芸能人を育てプロデュースすることであって、外に向かってえばることでもない。
尊敬するマネジャーが一人いる。 その人物が付いている芸能人に別の芸能人との共演を頼みに行った時のことである。マネジャーは「その芸能人とは一緒にやりません」と答えた。言い合いだと思っていたので「共演して悪い思いでもしたことがあるのか」と聞いてみた。すると、ないと言う。
少々、逆上して「おまえは本人か」という意味のことを言った。するとそのマネジャーは「本人です」と答える。そこまで言うならと、こちらはその潔さに引き下がることにした。 以後、そのマネジャーとは、大変良好な関係になった。こちらが依頼し、マネジャーがOKしたことでタレントがやらなかったことは一つもない。
で、思うのだが、同じなのは、芸能人のマネジャーと政治家の番記者だけではなく、「芸能人」と「政治家」も、同じなのかもしれない。
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