<舞台版「アドルフに告ぐ」>ピアノとヴィオラの劇伴は素晴らしかったがエンディングはカットすべき?


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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神奈川芸術劇場で手塚治虫・原作、木内宏昌・脚本、栗山民也・演出による舞台「アドルフに告ぐ」を観た。

25歳の友人と同行したのだが、「愛と愚かな戦争」をテーマに描いた第一幕75分、休憩15分、第二幕95分の計3時間5分の大作を「愛にも戦争にも現実感のない25歳の青年」が、目を見張って見続けたのは、ひとえに、松井るみ・美術、高見和義・照明の手柄による。

暗転を一切使わず流れるようなセット転換と、抑えながらも時に強烈に舞台の背景を主張する照明は見事である。朴勝哲のピアノと、有働皆実のヴィオラの劇伴もすばらしい。

この2つの音楽が生で演奏されることで舞台の緊張感が増し、役者に失敗は許されない構図ができあがる。

さて、作品であるが、手塚治虫の原作でストーリーを知っている人は多いだろう。第二次世界大戦前後に生きた「アドルフ」というファーストネームを持つ3人の男達の物語だ。

ひとりは独裁者アドルフ・ヒットラー。ひとりは熱心なナチス党員で在神戸ドイツ人外交官の父と日本人の母を持つハーフの少年アドルフ・カウフマン。そしてもうひとりはドイツから神戸へ、亡命ユダヤ人であり、元町でパン屋を営む一家の息子アドルフ・カミル。

この3人の「アドルフ」を主軸とし、「ヒトラーがユダヤ人の血を引く」という機密文書を巡って、2人のアドルフ少年の愛と憎しみと友情が巨大な歴史の流れに翻弄されていく様を描く。

筆者は、手塚治虫の原作を読んだとき「火の鳥」の構造と同じであると思った。そして、舞台版を観てまた、もうひとつ原作を読んだ時と同じ感想を持った。

2人の若きアドルフが、パレスチナゲリラとイスラエル軍兵士として戦うエンディングはいらない。ここがあることで、物語が凡庸に堕す。精神性が低くなる。舞台版では大胆にカットしてやってみて欲しかったと思うのである。

舞台は満員であった。

 

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