<I am a Painter 田中千智展>滞在して絵を描く「横浜市民ギャラリー」で田中千智展


齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]

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横浜市民ギャラリーはJR関内駅前に1960年にオープンした公設のギャラリーである。周囲にはまだ横浜美術館もなく、ちょっと離れて日本で最初の美術館・鎌倉の県立近代美術館があるのみ。そんな早い時期から、現代美術を中心に多くの作家たちを取り上げてきた。

山下公園前に県民ホールができ、その中の県民ギャラリーが工芸や彫刻、現代美術を取り上げ始めるのは1975年、横浜美術館が展覧会を始めるのが横浜博翌年の1989年と考えると、横浜の地でのオープンいかに早かったがわかろうというものだ。

その市民ギャラリーが、耐震問題等で閉鎖され、横浜市の保養施設を転用する形で桜木町から山手に向かう伊勢山に越したのはつい最近のことだ。この地で初めての若手の作家を取り上げるシリーズ「I am a Painter 田中千智展」を見に行ってきた。

横浜市では、アートでの街づくり・街の浄化を旗印に、戦後、関東屈指の青線(売春街)地帯とよばれた黄金町にアートの拠点をつくり、美術作家に滞在してもらい作品制作をしてもらうかたわら、積極的に街とかかわってもらう活動をしてきた。

その拠点が黄金町エリアマネジメントセンターである。田中千智もまた、2008年にこの地に2か月間滞在し、その間、エリアマネジメントセンターの企画者である山野真悟の発案により、地元商店の店主などのポートレートを描き、それを店舗にかざってもらうプロジェクトを実施した。

企画の意図「地域とアーティストをつなぐシンプルな試み」を相手に納得してもらうように話し了解を取り付けること。断られてもあきらめず、何度か通う中で信頼関係ができOKしてもらったり、やっぱり断られたり、といったことを繰り返し、田中は107人のポートレートを描き上げる。

福岡を拠点に活動する山野は、この企画にふさわしいとして早くから福岡在住の田中を起用することを考えていたようだ。田中の描く絵は人物画だったが、現実とも想像ともつかない、ポートレートとは全く異なるもの。

もともとの作品とこのプロジェクト自体が別種の路線であり、かつ田中の落ち着いた語り口が地域の、アートなどとかかわりの商店主に意図を語りかけて対話をするのにふさわしい、と考えたとのことだ。

2か月の間に田中が描いた107人分の肖像画は、店舗に飾ってもらうなどし、黄金町バザールという縁日のように楽しいアートフェスティバルでも紹介され評判を呼んだ。この2か月の滞在で、田中には画廊がつき、また伴侶を得た。それからは自身の描く絵の方向性がはっきりしはじめ、沢木耕太郎の新刊のカバー絵や童話の挿絵、2011年から都内で開催される北欧映画祭のポスターなどにも仕事が広がり始めている。

田中の描く絵は、背景をひたすら丁寧にマットで均質になるまで漆黒に塗りつぶす。そこにきわめて印象的な、誰かはわからない抽象的な人物が、多くは一人たたずみ、視線の向く先もはっきりしない。その適度な具象と抽象が、見る人の想像力をかきたてるように思える。今回の展覧会は、田中にとってももっとも規模の大きな個展となる。

ギャラリーという空間は、大きな美術館のようにすでに功績をあげた作家の回顧展をするには施設的な制約もあり、また作品の貸し借りで成り立つ旧来の美術館同士の付き合いや収蔵家との関係でも集客力の点などで多少不利になるところがある。

ただ、逆に言えばまだこれからという若手の作家を思い切って登用して作品を作ってもらい、大々的な個展を開催しまとまった作品を見せることもできる。それが注目されて、作家のジャンピングボードになる、という企画の仕方ができることが強みだ。

作家もこれから、という時なので意気に感じて頑張ってくれるし、見に来る方も先物買いの楽しみもある。ただし、そろそろ名前が出始めて、美術好きの人たちの間でも「早い」人たちがなんとなく気にし始める程度の知名度しかないため、集客には苦労する。

そう考えると、黄金町のスタジオでレジデンスする間に街にかかわってもらい、その縁をもとに、やがては企画展を市民ギャラリーで開催するという流れは、街ネタとして広報のつても多くなり、地元に応援してくれる場所や基礎票があり、と、それなりによくできた枠組みといえるかもしれない。

もちろん、作家が滞在の間にどう黄金町にかかわるかはその作家次第のところがあるし、作家の滞在目的も様々である。純粋に作品制作のために滞在する場合ももちろんある。神奈川県民ギャラリーでも長く若手の現代美術作家を取り上げて続けてきて、それなりに注目されているが、企画展に先立ち、黄金町のスタジオで作品制作をすることもあるからだ。

これなどは目的のはっきりしたレジデンスとしての使い方である。とはいえ、それなりの期間、この街に滞在するのだから町の人たちやエリアマネジメントセンターのスタッフとの交流ももちろんあろう。

黄金町エリアマネジメントセンターの企画であれば、作家を、普段の制作環境とは全く異なる場所で、それまでの作品とは異なるものを描いてもらうプロジェクトに起用するなど、ある種の転機を生み出す場所として機能する。いわば、ちょっとした他流試合のような場となり、そこでの適度な刺激が作家にいい影響を与えることがあるのだろう。

市民ギャラリーでもまた、横浜ゆかりの作家をとりあげるべき、という地方の公共ギャラリーのもつ宿命ともいえる命題を、この黄金町エリアマネジメントセンターという、若手作家のインキュベーター(孵化器)ともいえる場所があることで、より豊かな選択肢の中から作家を取り上げていけることになる。

大々的な個展を開くには、まだ実力も作品も足りていない作家たちに作品制作のための滞在場所と、自分では考え付かないお題やプロジェクトを任せ、街ぐるみのアートバザールでその成果をそれこそ様々な人たちに気楽に見てもらうという黄金町という場所。

美術界だけに閉じてはおらず、とはいえ、美術関係者も多く訪れる場所で、自分の作品を一人でも多くの人にみてもらうチャンスをもらう、そんな場所が同じ横浜市内にあることで、どれだけ横浜の地に愛着とゆかりを感じてもらう作家が増えることか。

作品制作というのは自分と向き合い続ける孤独な作業だが、そこにほんの少し、他者との交流を織り込んでいくという場所は貴重である。

黄金町で滞在したことをきっかけに、仕事の幅が広がり作品にも瞠目するような勢いがでてきたら、それをゆかりの作家として市民ギャラリーが取り上げ、そのうち中小の美術館や大手ギャラリーが取り上げはじめ、有名どころの美術館の企画展で他の作家とともに作品が紹介され、最後は大美術館での回顧展。

これが美術作家のすごろくだとしたら、同じエリアに複数ある美術関連の施設同士、しっかり役割分担しながら作家をささえ紹介することをしていくことで相乗効果が得られるに違いない。

また、何も有名美術館で個展を開催することだけが作家としての成功というわけでもあるまい。どんなかたちにせよ、納得のいく作品を作り続けられれば、そしてその作品発表の場があれば、作家自身も、作家の名前も知らずに「ここにいけばいつも生きのいい若手の作品を見られるから」とふらりと見に来る美術好きも、ともに幸せな出会いがあるかもしれないのだから。

横浜界隈に、面白いアートスポットが増えていけば、ぶらりと休日に足を延ばしてのんびり観光しながら現代美術を楽しむ人も増えていくかもしれない。堅苦しくない縁日のような黄金町バザールは11月3日まで開催中。もう一足延ばして横浜市民ギャラリー展覧会を見るなら「田中千智展」は10月18日まで。どちらも入場無料である。

秋晴れの一日、横浜での現代美術散歩もたまにはおすすめに違いない。

 

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齋藤祐子

齋藤祐子(さいとう・ゆうこ) 1984年、筑波大学卒。現在、文化施設に勤務。文化政策や現代美術、落語等の分野に関心が深い。