<テレビに警鐘>テレビ番組に氾濫する「ネット動画」の垂れ流し


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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誰か「やめようよ」と言う人はいないのか。

「やめて欲しい」というのはテレビに氾濫する「ネット動画の垂れ流し」である。聞くところによると朝、出社すると早速ネットを開き一日中、面白そうなネット動画を日がな探すのが仕事の担当者がいるという。ネット動画検索がテレビ制作の担当者として存在している、というわけだ。

「テレビ番組に志はないのか、矜恃はないのか」と言いたい。どの局でもネット動画の垂れ流しをやっているのは、その部分だけは毎分視聴率が良いからである。

長くテレビ屋として活動してきた筆者だ。視聴率は喉から手が出るほど欲しいと常に思っている。その一方で、もうひとりの自分が「そんなにしてまで視聴率(=おカネ)が欲しいか」と遠吠えしている瞬間もある。

テレビメディアは一次情報やオリジナルの意見表明に最も近いところにある。それなのに、なぜ「他人(=ネット)のふんどし」で相撲を取ろうとするのか。

ついでに言えば、情報番組で「皆様の情報をお寄せ下さい」というのもみっともない。事件や行方不明者の情報提供呼びかけなら、いざ知らず、「視聴者からの情報を取材に参ります」というのは、情報番組としては「名折れ」ではないか。

筆者も投稿ビデオの番組を作ったことがある。視聴者から情報をもらった経験がある。しかし、その時はもちろん、決して「垂れ流し」ではなかった。視聴者からの投稿ビデオ素材そのものより、ずっと面白く加工することにスタッフ一丸となって腐心したのだ。

ところで「業界の慣行」になってしまうと、「変な状態なのに、やめられないモノ」が横行するようになる。

例えば、「安倍首相」とテロップでは表示されるのに、それを読むときは「安倍総理(あべ・そうり)」と発音する慣例がある。先輩の誰に聞いてもなぜそういう決まりなのか、わからない

しかし先日、やっとその原因が推測できた。

その昔、テロップで年齢を表記する時は、「木村拓哉(43才)」といったように、「歳」の略字である才を使った。これはテレビの解像度が悪く画数の多い「歳」では、つぶれてしまい何の字か分からなくなってしまうからである。内閣総理大臣の「総」の字も同じ事情である。そして「総」の字を変えるのではなく総務相、厚労相のように大臣の言い換えを使って「首相」と表記したわけだ。

それでも、正式名はやはり内閣総理大臣だから、読むときは「総理(そうり)」にしようと決めたのである。総務相、厚労相は総務省、厚労省と勘違いされるから、読みでは混同するから、相は使わず大臣とすることが多くなったが、首相は勘違いされないのでそのまま残ったのではないか。

起源が何であれ、かくしてこの慣行を誰も「やめよう」とは言わない。

話がそれた。言いたいことは「テレビ番組のネット動画垂れ流しはやめて欲しい」と言うことである。テレビには「一般視聴者のできないこと」を代わりにやってくれると言う機能がある。例えば、10000円で売っている豪華おせちが、本当に10000円の価値がある内容になっているか? を視聴者に代わり、検証するなどもそうだ。

ネット動画は、ネットに任せるべきである。テレビがすべきことはそのようなことではあるまい。

 

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