[茂木健一郎]<話し合いはムダか?>対話を通した合意形成・相互理解はもはや「幻」


茂木健一郎[脳科学者]

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日本に限らず、世界中で起こっている事象で気になるのは、対話を通した合意形成、相互理解ということがもはや「幻」となり始めていることである。国と国との対話、異なる文化の向き合いにおいて、「話し合い」という機運が弱くなってきている。

たとえば、国際法の規範があるはずの国際関係においても、明らかに国際法に反する主張をする大国の暴走を、止めることができない。理を尽くして話しあえばわかる、という楽観主義は、もはや成立しない。だったら諦めるかということになる。

政治的な対立も、話しあえば相互理解ができるという信頼、期待がない。お互いに、自分の意見を言って、最後はすれ違いだろうと思ってしまう。ならば、最初から話し合うことはムダだ、という気分が、世界のさまざまな国で起こってきている。

なぜ、話し合いによる相互理解は「幻」であるという雰囲気が生まれつつあるのか。

一つには、グローバル化で人の移動が盛んになり、以前ならば考えられない規模で、異なる背景を持った人々が出会うことで、摩擦が顕在化しているのであろう。ソーシャル・メディアも、マスコミがコントロールできないかたちで異なる意見を持つ人々の出会いを媒介している。

世界は狭くなり(一つになり)、従来だったらお互いに干渉しなかった人たちが、結果的に衝突するようになった。さらに、情報化によって注意を奪うものが増え、人々の可処分時間が減ったことによって、アテンション・スパンが短くなって、自分と異なる意見にじっくりと耳を傾け、熟慮し、理解することが難しくなっていることも、一つの要因であろう。

このような時代には、話し合いによる相互理解の可能性に対しては、高い期待水準を持たないことが実際的である。苦い失望を抱かなくて済む。

一方で、社会の中の異なる見解を超えたヴィジョンを持ち、構想をつくることが最も価値のあることになる。

ある特定の価値観にこだわっても、世界全体を覆うことはできない。それでは、自分の居場所は部分になってしまう。

一見乗り越えがたい対立を超えることのできる新しい概念、ヴィジョンを示すことができる人が、求められている。粉々になった鏡に映っている大きな絵は、一体なんだろう?

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。