<テレビ局は人材不足?>「M-1」よりはマシな「THE MANZAI」もネタを垂れ流すだけの番組だ

エンタメ・芸能

高橋維新[弁護士]
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2015年12月20日に放映されたフジテレビ「THE MANZAI2015」。
2011年に「M-1」を継承する形で始まった(正確に言えば復活した)「THE MANZAI」は、2014年になぜか賞レースの形式をやめ、2015年には漫才の賞レースとして「M-1」が復活した。「THE MANZAI」は、おもしろい芸人の漫才を見せるという純粋なネタ番組になった。
純粋なネタ番組になったので、コンセプトは(司会がナインティナインであるという点も含めて)過去に放映された「ENGEIグランドスラム」に非常に近い(https://mediagong.jp/?p=12302)。
そうなると「THE MANZAI」は、問題点もENGEIグランドスラムと共通することになる。何度でも同じことを言うが、次のような問題点が指摘できる。

  • ナインティナインがネタをやっていない
  • ナインティナインが芸人とあまり絡んでおらず、合間合間のコメントもほとんど使われていないので、司会としている意味がない
  • 観客が入っている(ので収録の終了時間を配慮する必要があり、ナインティナインと長いこと絡ませることができない)
  • ネタについて番組やスタッフが事前に口を出してブラッシュアップしている形跡がない
  • 芸人のネタ部分はほとんど編集されておらず、垂れ流しになっている

簡単に言えば、芸人が自分で考えたネタを垂れ流すだけの番組になっているということである。スタッフが、「誰を出すか」という芸人の選定過程でしか番組をおもしろくするために頭を使っていないのである。
それでも、出てくる芸人がそれこそ「人気と実力を兼ね備えた」一流どころばかりであるため、同じ垂れ流し番組でも「M-1」よりはおもしろい。
たまに「M-1」の方がおもしろいと言う人もいるが、そういう人は他人とは違うことを言いたいだけの天邪鬼である可能性が大である。今回出てきた芸人は、おもしろいからこそテレビに出続けているのである。新顔の方が多かった「M-1」の方がおもしろくなるわけがない。
それでも、垂れ流しである以上おもしろさは芸人たちに頼るしかないのである。司会ともっと絡ませれば、ネタを見せる以外の笑いのパターンを考えておけば、もっとおもしろくなる可能性があるのに、そういう努力を怠っているのである。
「ネタを見たい人にネタを見せる番組だから、余計なものは一切要らないのだ」という開き直りはあり得る。しかし、バラエティ番組である以上、スタッフにはその開き直りは「自分がサボるための言い訳に過ぎないのではないか」という自問自答が常に必要であると思っている。
ちなみにこういうことを言うと、「(所詮一流企業のサラリーマンに過ぎない)テレビ局のスタッフ(ごとき)に芸人と同じくらいおもしろいことを考える力があるわけがないのだから、スタッフが口を出せなんて主張はそもそも的外れだ」という反論をしてくる人がいる。
ただ、この反論こそ的外れである。
こういうことを言う人は、テレビ番組の制作過程をよく知らない人だろう。裏方にいるスタッフがどういう関わり方をしているかをよく知らないから、画面上に出てくる芸人の動きだけを見て浅薄な議論をしてしまうのである。番組をおもしろくするには、ディレクターを筆頭とするスタッフの奮闘が不可欠である。
全盛期のフジテレビには、人気芸人と同じくらいおもしろいことを考えられる実力あるディレクターが揃っていたからこそ、バラエティでトップに君臨できたのである。
この人たちが芸人よりもおもしろいことを考えられなくなっているとしたら、それこそ人材が劣化しているということになってしまう。まあ、今のフジテレビを見ていると既にその状態になっている疑念も消えないのが残念なところであるが。
 
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