<ノンフィクションの種:葬儀委員長は福田赳夫>稀代の名画コレクター松岡清次郎の葬儀は『仁義なき戦い』のワンシーン

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

 
「ぶっつけ本番だから面白いものが撮れる」ということがたまにはある。初対面だからずけずけ取材できる、相手も準備していないから本音が聞ける場合もあるだろう。自然な会話も撮影出来る可能性がある。
しかし最初から当てにしていったらまずうまくいかない。やはり準備が必要である。調べることが第一だ。そして相手から信頼されなければどうにもならない。
シャガール、モネ、ルノワール、モディリアーニ、ルオーなど超高価な美術作品を自分で買い付け、挙句に美術館を作ってしまった松岡清次郎さんが番組の取材でこれでもかと高価な絵画を倉庫から持ち出し、無造作に立てかけた取材をした後、まだ何度も会う機会があった。気に入られたのだと思う。
高価な絵を松岡さんはどういう風に買うのだろうか? という素朴な好奇心があった。何とかその様子を撮影したいと思った。松岡さんも「良いよ」という。松岡さんの好みを知る画商が松岡さんの目の前にやってくるケースがあるという。買う客は一人で売り手も一人だ。真剣勝負になるそうだ。値付けが難しいらしい。これは撮りたいと思った。
だが実現しなかった。松岡さんの希望を満たす作品を持参できる画商があまりいない。替わりに、特定の顧客のための即売会を撮影することが出来た。
画商たちは共同で絵を集め顧客を招待する。日本画が主だった。われわれは松岡さんについていくだけだった。松岡さんは絵をよく知っていた。並べられた絵を見て画家の名前がこれでもかと出てくる。それも苗字は呼ばない。名前だけを呼ぶ。これは「どぎゅう」だろ、「がほう」だろ、「こけい」に「しんすい」・・・次から次に出てくる。
こちらはすぐにはわからない。奥村土牛、橋本雅邦、小林古径、伊東深水・・・(他にも色々な名が出たが再現不能)
今なら調べればすぐわかる、当時はいきなりいろいろ名前が苗字なしで出てくるものだから大混乱だった。画商たちは松岡翁であれば買ってくれる可能性があると、まるでアメ横の売り子の状態で近づいて来る。
だが、松岡さんはどれもお気に召さなかったようだ。購入しなかった。だがこ子で撮れたものもまた、魅力的な松岡清次郎さんだ。
気に入った作品が出品されればクリスティーズやサザビーズなどのオークションに参加することもあるという。撮影させていただけますかと聞くと、またまた「良いよ」という。「いいのがあればアメリカでも、イギリスでもどこでも行くよ」という返事だった。
訃報が来たのはサザビーズなどの取材をする企画書を書き終えてしばらくしてからだった。突然だった。
さらにびっくりしたのは会葬の要請だった。ただテレビで何度か取材し、それなりの反響はあったが一度放送しただけなのに参列してほしいという依頼だった。秘書の方にお聞きすると、取材は大きな楽しみであったという。ぜひとも出てほしい、それが故人の願いでもあると。
大きな寺だった。雨が降っていた。『仁義なき戦い』の映画に出てくるようなシーンだった。一列に黒い服を着た方が何十人と並んでいる。その間を歩いていく。石畳だった。気になったのはビニール傘を持っていることだった。どこに置いたら良いのだろう。記帳しに行くが置く場所がない。丁重に預かりますというが何しろビニール傘だ。逡巡したが結局預けるしかなかった。
そして香典をどうしたものかと考えていたが受け取らないという。
中に入るといくつにも部屋が分かれていた。私が通された場所はあまり大きな部屋ではなかった。葬儀委員長は福田赳夫さんだった。すぐ近くにいた。小さな方だという印象を持った。もちろん知り合いがいるわけでもない。葬儀が終わったらすぐに帰った。
今でも、あの席に呼ばれた理由が良くわからない。だが、秘書の方の言葉を率直に信じるほうが良いのだろうと思う。松岡さんは本当にあの一連のテレビの取材を気に入ってくれたのだ。不動産業やホテル業を起こし一代で財を成した松岡清次郎翁、95歳だった。昭和の豪傑だ。
 
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