<キンコン西野「ヘタすりゃ、痛い目にあう」>客と作り手が曖昧な不安を伴う「町づくり」こそ次世代エンタメ

エンタメ・芸能

西野亮廣[芸人(キングコング)]
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音楽(とくにアイドル)のライブを観ると、アーティストさんのパフォーマンスもさることながら、お客さんの熱量に圧倒される。
彼らは、「自分達がライブを盛り上げるんだ」と当事者意識を持ってライブ作りに参加していて、そしてとても楽しそうだ。
毎年東京で開催している『西野亮廣独演会』は、気がつきゃ、お笑いライブとしては、かなり大きな規模になっていて、同時に僕たちスタッフにかかるプレッシャーも大きくなっている。

  • 「チケットは売れるかな?」
  • 「お客さん、来てくれるかな?」
  • 「事故が起こらないかな?」
  • 「演出は上手くいくかな?」
  • 「ウケるかな?」
  • 「満足してもらえるかな?」・・・。

そういった不安が山ほどあって、そして、それら全てが上手くいった時の打ち上げときたら格別。「お客さんより、俺達の方が楽しんでいるよね」という結論になる。
その理由は、アイドルのライブのお客さん同様、僕達スタッフが『当事者』であること。それに加えて、「不安」からの解放がある。
この「当事者」と「不安」の二つが、これからのエンタメには、とても大切なキーワード。これは僕のライブに来てくださったいる方々には常々言っていることなんだけど、エンタメはこれから「第3の局面」に向かうと思う。
最初は「絵画」のように、「こんなスゲーやつ描いたぞ!どうだ!」という、作り手からお客さんへの一方通行のエンタメ。次に「パズル」のように、「どうぞ、参加してくださいな」という、今、流行っているインタラクティブなエンタメ。
ただ、このインタラクティブなエンタメには欠けている要素が一つだけあって、それが「不安」なんだよね。
パズルにしても、スーパーマリオにしても、「いつかはゴールできる」という安心感がある。親切なデザインともいえるけれど、しかし、独演会の打ち上げでスタッフが味わっているような快感はない。
次に皆が求めるエンタメは、「紙粘土」のような、自分の頑張り次第で、面白い作品が出来上がったり、ツマラナイ作品が出来上がってしまう、「ヘタすりゃ、本当に痛い目にあうぞ」という「不安」が含まれているものだと僕は考えている。
そのエンタメは、作り手とお客さんの境界線が曖昧で、「全員が作り手であり、お客さん」というイビツな形状をしている。
そこで、お客さんは、「不安」や「恐怖」といった、なるべく避けたいモノが、実は最高の調味料ということを知る。一度、これを味わっちゃうと、なかなか戻れない。
今、町を作っている。比喩ではなく、本当に町を作っている。
「完成した町に来ていただく」というエンタメは、ディズニーランドがやっているから、僕はそんなものには興味がなくて、「町を作る」という超体験型の娯楽を提供する。なので、お客さんは待つ必要なんてなくて、意見があればドンドン聞かせて欲しい。
「ここ、石畳の方がよくね?」とか。
「ここに、ステージを作ろうよ」とか。
そして、その人にプロジェクトリーダーを任せる。年齢なんて関係ない。リーダーは小学生でもいい。僕はできる限りのサポートをするし、最後の最後で責任をとる。
とはいえ、人やお金を巻き込む以上、そこに不安や恐怖は必ずある。
でも、だから面白いんだよ。『おとぎ町』は僕らの町。面白いアイデアがあったら聞かせてちょうだい。そしてキミが中心になって作ればいい。
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