<最終候補4作品から解説する>五輪エンブレムのデザインに「優劣」など出ない


藤本貴之[東洋大学 准教授・博士(学術)/メディア学者]

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4月8日、2020年東京オリンピックの新エンブレム公募の最終候補4作品が発表された。

この日は筆者もいくつかのメディアから最終候補となった4作品についての意見を求められたので、思うところを発言したが、伝わりづらい部分が多いように感じた。

もちろん、主観であればどうとでも言えるし、粗探しをすれば批判もできる。しかし、筆者が専門家として求められているのは、客観的に「何が/どれが/どこが良いのか?」ということだろう。となるとその回答は難しい。

なぜなら、五輪エンブレムのデザインに、本来「優劣」などはないからだ。

例えば、過去数十年分の五輪エンブレムを一覧にしてみれば一目瞭然なのだが、「素晴らしいデザインだ!」と賛美するようなものばかりではない。愛着の持てる良いデザインは多いと思うが、ただそれだけだ。

特に、近年のエンブレムの傾向で言えば、無国籍でこれといった五輪らしさがあるわけでもない。かといって、批判したり、嫌うようなものでもない。ようは「とりたてて悪い面がない=おしなべて良い」ということが五輪エンブレムの特徴だ。

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過去の五輪エンブレムの「とりたてて悪い面がない=おしなべて良い」が意味することは、それがどんな形状でも採用されてしまえば、見た目とは無関係に自然に五輪の象徴として浸透し、馴染んで行くものだ、ということでもある。それはそれでデザインのあるべき姿なのだろう。

五輪とは世界トップレベルのアスリートが記録を争い、その感動を共有するということが本来の楽しみ方だ。エンブレムがどのようなデザインだろうが、それで困る人はほとんどいないというのも実態だ。

仮に「ダサい」エンブレムが採用されたとしても、利用が開始されてしまえば、それはそれで受け入れられてゆく。むしろ「過去最高にダサいエンブレム」として、一つの記録、レジェントとして批判や嘲笑も含めて、アスリートたちの名場面とともに思い出になってゆくだろう。

デザインの良し悪しや優劣などとは無関係に、自然と受け入れられ、愛され、しっくり来てしまうものこそが五輪のコンテンツ。五輪自体がもっている前向きなイメージの底力だ。

ただし、不正や疑惑があれば話は別だ。スポーツマンシップ、純粋性という美しさが至上の価値となっている場面で、それを利用した「あやしい動き」に世界中の人が批判的だ。前回の佐野研二郎氏のエンブレム騒動とは、そんな純粋性の中でだからこそ、あそこまで大きく炎上したのだ。

前回のエンブレム騒動の経過や「炎上」については、拙著「だからデザイナーは炎上する」(中公新書ラクレ)で、インターネット時代のデザイン/デザイナーのあり方も含めて詳述したので、それを参考にして欲しい。

さて、そういった五輪エンブレム本来のあり方から、今回の最終候補となった4作品を見てみたい。

結論から言ってしまえば、デザインとしては最終候補4作品のいづれが本採用されても支障がない、甲乙付けがたいと秀作が揃っていると言えるだろう。理由はもちろん、「とりたてて悪い面がない=おしなべて良い」だ。これを「無難」と呼ぶかどうかは人それぞれだ。

この判断は、見た目的な美醜や完成度、筆者の主観や好みなどで判断しているわけではない。五輪エンブレムとして「採用されてしかるべき」という基準に照らして、である。

ちょっと意地悪な言い方をすれば、見た目的に最終候補4作品に優劣がないのと同様に、同じようなデザインは1万件以上の応募作の中には、いくらでもあっただろう。今回の4作品が選ばれた理由には、運やタイミングだって大きく作用しているはずだが、それはそれで良いのだ。

【参考】<なぜ「炎上」は起きるのか>五輪エンブレム選考に見る「日本のデザイナーは勘違いで時代遅れ」

今回の最終候補4作品がどのような基準で選ばれたのか。これを考える上でのポイントは、五輪エンブレムが普通のデザインとは比較にならないほど制約が多い、ということだと思っている。

まず、現在の五輪エンブレムは、単にポスターやパンフレットに付けられるだけの「マーク」ではない。スポンサー企業が様々な場面で利用し、また多種多様な商品やサービスとして展開するための利便性に耐えうるものでなければならない。

一見素晴らしいデザインでも、「バッジにした時に視認性が悪い」とか「マグカップやキーホルダーのよう小物への展開が難しそうだ」、「カラーでは美しいがモノクロだと分かりづらい」といったようなことがあれば、もちろん採用はできないだろう。

ようは、あらゆる状況での利用を想定し、イメージが変わらない、損なわないデザインでなければならない。これは極めて高いハードルの最低条件だ。

そればかりではない。

五輪エンブレムには、国際オリンピック委員会(IOC)の細かすぎる規定がある。エンブレムのパーツの位置やサイズ感の指定はもとより、国旗や聖火、オリンピック関連のデザインと混同するような要素をエンブレムに使ってはいけない等々、禁止事項が今回の応募要領にも多数記載されている。最低限、それらをクリアせねばならず、自ずと表現力にも制限がかかる。

ついでに付記するが、応募要項にはなぜか記載されなかった重要なルールもある。

「社会の共有財産(誰もが知っているようなシンボル 例:富士山)と混同するデザインは利用できない」

というものだ。「例:富士山」からもわかるように、富士山やら新幹線やらスカイツリー等々、「誰もが知っているようなシンボル」をデザインに組み込んではいけないのだ。これを犯したことで、失格になった事例も多数あったのではないか。なぜこのルールを掲載しなかったのかはわからないが、いづれにせよエンブレムに細かい規定が設けられている理由は、運営者の側の商業利用の都合だろう。

筆者も応募者の一人だが、デザインそれ自体というよりは、規定や条件を満たすことに苦労した。細かいルールにより、作られる作品も、選ばれる作品も均質化してしまい、デザイン性で優劣はもとより、大きな差などは出づらくなってしまう。そもそも近年のエンブレムにはトリッキーな表現や個性などは求められていないように感じるので、その点は作り手としては悲しい。

「五輪エンブレムのデザインに優劣などない(でない)」とは、そういうことなのである。

【参考】<東京五輪の成否にも影響?>新国立「聖火台」問題はエンブレム騒動と酷似する危険な兆候

例えば、最終候補4作品の発表後に、イラストレーター/絵本作家としても活躍するお笑いコンビのキングコング・西野亮廣さんは、早々と自身が応募した(落選した)エンブレムとそのコンセプトを公開した。

筆者から見て、西野さんのデザインは、個人的な趣味や人間関係とは無関係に、客観的に判断して魅力的なエンブレムだと感じた。コンセプトもよく練られている。

しかし、筆者は西野さんの作品を見た瞬間、「あっ、これは絶対に選ばれないな」と直感したことも事実だ。この直感の理由は先ほど述べたことで説明できる。

西野さんのエンブレムは、江戸漆器をイメージし、和の繊細な日本らしいデザインになっている。・・・そこが問題だと感じてしまった。西野さんの描く細かい描写は、オリンピックのグッズとしての多商品展開が難しそうだからだ。

少なくとも小さなバッジ類や小雑貨には不向きだろう。繊細な線が表現できないような(チープな)素材も無理だ。もしかしたら「誰もが知っているようなシンボル」にも抵触しそうだ。美しいけど、採用することが難しい典型的な事例だと感じた。

細かい規約や条件を知らない一般国民からの人気投票をすれば、全く違う結果になっただろうことは間違いない。そういった点を踏まえ、改めて最終候補を筆者なりに評価してみたい。

「B案(つなぐ輪、広がる和)」は、輪で躍動感を表現し、コンセプトも魅力的だが、やや線が細く、全体的にボリューム感に乏しい印象だ。商品展開も「Tシャツのワンポイント」ぐらいしか浮かばない。また、既存に似たようなデザインは多いので、「東京五輪を想起させるか」という点でも弱さを感じるように思う。

では、朝顔をイメージした「D案(晴れやかな顔、花咲く)」はどうか。華やかさがあり、ネットでの評判も上々だ。しかし、その美しさは繊細さに基づいている。線の細い繊細さが目立つということは、遠目では分かりづらく、素材を選ぶ場合も多い、ということだ。やはり下世話な商業利用や多商品展開には向いていない。

そうなると「A案(組市松紋)」、「C案(超える人)」が残る。これらは日本らしいモチーフやデザイン性から着想を得ていながらも、がっしりとしたシンプルな構造で、利用状況による印象変化が少なそうだ。大きくしても小さくしても、モノクロでもカラーでも視認性に違いは出にくく、多商品展開もしやすいだろう。

なお、A案とC案を比較すれば、個人的にはC案の方が適しているのではないか、と感じている。
理由は、C案の方が躍動感やカラフル感がある、つまり「五輪らしい」と感じるからだ。

逆にA案は円(日の丸?)をベースにしたデザインであるため、前回の東京五輪との連続性・継承性を感じてしまう。前回のエンブレム騒動の余波で、過去との連関はあまり良い印象がないので、1964年との継承を印象づけるメリットはない。せっかくならそれを回避してはどうか、という観点からだ。1972年のミュンヘン五輪エンブレムとの類似も気になる。

ここまでの筆者の評価・判断の中に、デザインの良し悪し、優劣などは一切はいっていない。それで選べてしまう、選ばざるを得ないがものが五輪エンブレムなのだと思うと、少々寂しい。

最終的な結果は4月25日に明らかとなるので無駄な予測はこのヘンで止めておく。が、究極的には「そもそも優劣などないのだから、愛されてさえいれば、どれでも良い」というのが筆者の本音だし、4候補作品はいづれもそれに価するとは思う。

いづれにせよ、どんなデザインでも良いから、今度こそは「世界中の人から愛されるエンブレム」になって欲しいし、絶対に発生する「予期せぬ粗探し」に対して、前回のような間違った対応で、余計な炎上が起きないように注意して欲しいものだ。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・准教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員准教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。