<現代美術で異例の31万人動員>「村上隆の五百羅漢図展」から考える日本の現代美術

齋藤祐子[神奈川県内公立劇場勤務]
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六本木の森美術館、横浜の横浜美術館ともに盛況のうちに2つの村上隆展が終了した。
集客を見込みにくい現代美術の展覧会にしては異例の、森美術館が実に31万人の来場者。横浜美術館は関係者によると6万人超の来場者数とのこと。また村上隆本人が、「五百羅漢図」で2016年度の文化庁・第66回芸術選奨文部科学大臣賞(美術部門)を受賞するというニュースまで続いた。
【参考】<村上隆14年ぶりの個展>「五百羅漢図展」「スーパーフラット・コレクション」が圧巻
文化庁のホームページにはそれぞれの受賞者ごとに「贈賞理由」が記載されている。以下は村上隆の贈賞理由である。

(以下、文化庁HPからの転載)「村上隆の五百羅漢図展」は、日本では14年ぶりとなる大規模な個展である。特に東日本大震災を契機に制作された「五百羅漢図」は、横100メートル、縦3メートルという桁外れの規模と完成度に圧倒される記念碑的な作品である。オタクカルチャーや キャラクターを明治以前の日本美術と接続した独自の概念「スーパーフラット」を果敢に展開してきた村上隆氏の新境地であると同時に、日本の文化や歴史を根 源的に俯瞰する、かつてない道標を示した。(以上、転載)

コンパクトな村上隆の業績評価といえるだろうか。横浜美術館館長・逢坂氏の「村上隆のスーパーフラット・コレクション―蕭白、魯山人からキーファーまで―」展に寄せてのコメントはもう少し詳細である。

(以下、引用)村上隆は東京藝術大学在学中から、欧米の価値観とは異なる日本のアーティストとしてのオリジナリティをどのように構築し、国際的な認知を促すことができるかを考えてきた稀有な存在である。

1993年、東京藝術大学において初めて日本画の博士号を取得した村上は、日本画界ではなく現代美術界へと主軸を移し、90年代後半よりアニメ、漫画、フィギュア、キャラクターなどの日本のサブカルチャーをファインアートに導入して、欧米の既成の美意識や価値を転換させる概念「スーパーフラット」を周到に打ち出した。
現代美術と日本の伝統絵画、ハイカルチャーとポップカルチャー、東洋と西洋を横断する極めて完成度の高い作品群によって、村上は美術界に刺激を与え続け、国際的評価を獲得してきたといえよう。
村上は、アーティストとしての精力的な創作活動にとどまらず、批評家、キュレーター、ギャラリスト、プロデューサー、マネージャーとしても実力を発揮してきた。
その活動の根底には、美術の枠組みを拡張させる思考や批評、美術の価値を定める思想や制度、マーケットの形成やアーティスト育成に対する彼自身の懐疑と変革への真摯な情熱がある。
全方位の挑戦を続けてきた村上は、近年、コレクターとして作品の蒐集にも心血を注いでいる。私が、村上本人からコレクション展開催の打診を受けたのは2014年であった。その膨大な数と多様性に圧倒されたが、彼の美術界での歩みや価値観を示唆するその内容は強烈で魅力的であった。
すでに予定されていた森美術館での個展と会期が重なるように急遽、調整し、一筋縄ではいかない準備を想定して、三木あき子さんにゲストキュレーターを依頼しつつ横浜美術館の学芸チームを組むこととした。
村上が本格的に「蒐集」という樹海に入り込んだのは、北大路魯山人旧蔵の志野茶碗の入手を契機とする。古美術商との駆け引き、オークションでの落札、ギャラリーやインターネットでの購入など、蒐集手法は多岐にわたるが、10年足らずで数千点の蒐集を実現したそのエネルギーと収集の内容は、村上の非凡さを示して余りある。
「芸術とは何か?」「芸術の価値とはどのように成立するのか?」「蒐集とは何か?」この大命題に向き合い模索を続ける村上にとって、蒐集は彼の新たな挑戦であり、自己の限界を常に超えようとする意思の発露でもあるのだ。
横浜美術館でのコレクション展が決まった以降も、村上の蒐集はとどまることなく、展覧会出品リストは、集荷の時点でも常に書き換えられた。
本展は、美術をめぐる制度や課題に鋭敏に反応してきた村上が表現する「もうひとつの個展」なのである。(以上、引用)

個人的にはこの文章が、森美術館・横浜美術館での村上隆ダブル個展を評価する、過不足のない冷静な(そして唯一の)評価に思える。
逢坂氏自身が多くの国際美術展を手掛けた著名キューレター、国内での展覧会開催をしぶっていた村上隆を口説き落としたのは、森美術館館長であり、やはり国際展のキューレターとして活躍する南条氏。村上隆の再評価のきっかけとなったこのダブル展覧会を仕掛けたのは、国際展で活躍する著名キューレター兼館長の2人だったというわけだ。
アカデミックな評価はともかく、その展覧会はどういうもので、どうして見たほうがいいのか、というごく素朴な疑問に答えるものとしては、エキサイト・レビューに掲載された「「村上隆の五百羅漢図展」は被災者への鎮魂か、それとも作家個人の魂の救済か」(2015年11月30日 ライター・編集者の飯田一史、SF・文芸評論家の藤田直哉の対談)が独自の視点でこの展覧会に切りこむ、ほぼ唯一のものだったように思う。
また、開催経緯や美術史家・辻氏と村上隆の対談内容などは、「森美術館『村上隆の五百羅漢図展』と、辻惟雄・村上隆トークセッション」(2015年11月16日 はてなブログ 在華坊)が美術を見慣れている人の紹介記事らしく参考になった。
そのほか、日本で評価の俎上にあがらない村上隆、という文脈をおさらいするには、「現代アーティスト・村上隆(Takashi Murakami)』 日本の美の翻訳者」(2012年4月5日 日本美学研究所)が押さえどころだろう。
しかし、これだけ世界的にも著名なアーティストなのにほとんど日本で論じられてきていない、また論じられにくい部分が多い理由が、ここまでの参考サイトを斜め読みするとうっすらとわかってくる。
知人とこのテーマで話す機会があったが、2001年に横浜美術館で「奈良美智展」、東京都現代美術館(MOT)で「村上隆展」がほぼ同時期に開催されたときのことが話題になった(まさしく15年前の村上隆展である)。
今回の横浜美術館と森美術館のように双方でタイアップして宣伝を展開したが、来場者数・話題性・グッズ販売とも奈良展が圧倒的に多く、東京都現代美術館の担当者は多いに嘆いたという。とはいうものの、その時、この両者を特集していたTIMEでは村上隆の方に軍配をあげたと聞く。
そして、村上隆は六本木ヒルズのキャラクター制作やルイ・ヴィトンとのコラボなど、現代美術作家の枠組みを超える画期的な展開を仕掛け、次々と話題を提供しながら今に至っている。
村上隆、奈良美智ともに、はじめに海外で著名になり国内に凱旋した逆輸入作家だが、双方ともサブカルチャー、アニメのエッセンスを作品に取り入れることで欧米で評価されることとなった。両社の違いを象徴していたこの時の展覧会は、奈良美智の作品は多くの人に好かれている VS 村上隆の作品自体を好きだという人はきわめて数が少ない、という事実を浮き彫りにしていた。
村上の作品はオタクカルチャーやアニメを取り入れて作品を制作する、としながらも、そのツボをはずしているため、表層だけみればオタクやアニメファンから「下手」といわれるなど評判が悪い。
彼の持つ技術力からすれば、いくらでもそれらしい画がかけるのだろうが、コンセプトを強調するため「だけ」の作品に徹するせいか、日本では大衆的な人気がほとんどなく、露悪的な作風から一部の人からは嫌悪されることもある。
人気さえあればもっと早く評価されたかというとそうとも言えないが、誰もが作品について感想をいいたがる、論じたがる作品であれば村上隆の日本でのあり方はもっと違っていたことも確かである。
加えて作家が戦闘的で論理的なため、うかつなことは書きにくい。いきおい、作家が提出する戦略やコンセプトばかりに言及する「紹介記事」になりがちで、冷静にきちんと作品を論じる評論がほとんどない、という状況となる。
こういった状況は、作品が圧倒的な人気を博しながらも長年評論家からきちんとした評価をされず、日本の文壇では徹底して攻撃され続けてきて、それゆえ外国に拠点を移して作家活動をつづけ、世界的な人気作家となった村上春樹に近いところがある。もっとも村上春樹は、圧倒的な人気を博した初期のベストセラー「ノルウェイの森」以降、文学ファンではないけれど村上春樹の新刊だけは読む、という膨大なファン層にささえられてはいたのだが。
その村上春樹の自著『職業としての小説家』(2015年 スイッチパブリッシング刊)では、日本の文芸評論家から翻訳調と揶揄されてきた自身の文体について言及している。いわく、長年日本の純文学で使われてきた文体とは異なる、身軽なヴィークルのような文体を手に入れるために、不自由な外国語(英語)でシンプルに書き、それを日本語に翻訳しなおしたのだと。
翻訳調、というのは表層的な見方でしかなく、その本質は、まわりくどくない率直でシンプルな言葉使いで深遠なことまでを表現する今までにないオリジナルな文体にあるのだ、と。このきわめて説得力のある文書を読んで、筆者は長年の疑問がすとんと腹に落ちる感覚を覚えた。
欧米およびアジアでも人気作家となった村上春樹氏もまた、日本で自分以上に的確に自身の文体について解説・評価する人がいなかった、ということでもあるのだが。
この本にはオリジナルな表現のための条件が3つ記載されている。かいつまんで記載してみると

  1. 他の表現者とは明らかに異なる独自のスタイルがあること。
  2. 時間の経過とともに、そのスタイルを自らがヴァージョンアップできること。自発的・内在的な自己革新力をもっていること。
  3. その独自の表現は時間とともに人々の間でスタンダードと化していき、価値判断基準の一部として取りこまれてゆくこと。あるいは後世の表現者の豊かな引用源となること。

きわめて判りやすく、説得力のある言い方ではないだろうか。現代と鋭く対峙し、いままでにはなかった独自の表現を作り上げたとしても、その表現があっという間に消え失せてしまっては、それは後世にまで残る表現とは言えない。村上春樹は、この章を彼の好きな音楽を例に取って説明しているが、文学でも美術でも音楽でも、時に耐え、かつ独自の表現であることがそれほど簡単でないことは歴史の示す通りだろう。
今回のダブル村上隆展が明示する課題についてあらためて考えてみることは日本の現代美術界を考えることにもつながる。おおげさではなく、そんなことを考えさせられた展覧会だった。
 
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