<消去法で「C案」が合理的か>五輪にふさわしいエンブレムってどれ?


藤本貴之[東洋大学 教授・博士(学術)]

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五輪エンブレムの最終候補4作品に関し、筆者も方々から「良し悪し」「優劣」の意見を求められる。

しかし、筆者がこれまでに何度も指摘しているように、本質的には、五輪エンブレムにデザイン的な「良し悪し」や「優劣」などはない。採用されれば、どんなものであれ受け入れられ、定着し、そして忘れさられる。それは過去のエンブレム一覧を見れば明らかだ。

最終候補4作を辛辣に否定したり、酷評する風潮もみられるが、それらの多くは、五輪エンブレムの「あり方」への理解が不十分であることが要因の一つだ。「ダサい」とか「デザインのレベルが低い」といった、見た目の美醜のみを対象にした議論は、五輪エンブレムとしての採否を考える上では、あまり意味を持たないからだ。

【参考】<最終候補4作品から解説する>五輪エンブレムのデザインに「優劣」など出ない

本決定予測が盛んにされているが、究極的には「どれでも良い」であろうし、どれが採用されようと絶賛も致命的な問題もおきないだろう。それでも、組織委員会やエンブレム委員会の中では「これを採用する予定」という腹積りはあるはずだ。

それがどれになるのか? という予測をすることに意味があるかどうかはさておき、筆者なりの分析から「五輪エンブレムとして適した案」を予測してみたい。なお、この予測は個人的な趣味や好みなどは考慮にいれず、今日の「五輪エンブレム」の扱われ方、位置づけからの分析である。

そのためには、五輪エンブレムが現在、何であって、何のために存在するのか、ということを理解しておく必要がある。

今日、五輪エンブレムとは、多目的な商品展開、多様な商業利用を前提としている。あらゆる素材、さまざまな状況・状態で利用される。ポスターやパンフはもとより、ピンバッジからマグカップ、キーホルダー、玩具・文具、果ては電車やバスのラッピング広告まで、その利用場面は多様だ。それをどう利用するかは、巨額の資金を負担するスポンサー企業や広告会社などの権利。その利用の可能性を限りなく広げることが、スポンサーへの義務にもなっているはずだ。

そうなると、どのような状況・状態で利用されても、エンブレムとしての印象(価値)が変わらず、また視認性や表現性の劣化がないことが求められる。もちろん、著作権・商標トラブルが発生しないように、既存のデザイン物に類似する可能性がある要素は全て排除せねばならない。もうその段階でかなりの制約があるので、飛び抜けて魅力的なデザインは作りづらい。

そういった観点から、消去法で考えてみたい。

 

20160412

 

最初に消去できるのは、「D」案である。理由は、繊細で線の細い美しいデザインだからである。朝顔をモチーフとした繊細なデザインは、日本らしさもあり、東京五輪には適しているように感じる。しかし、それはあくまでも、「ポスターやモニターで見ただけ」の感覚でしかない。

先述したように、エンブレムはあらゆる場面で利用されるが、「繊細で線の細い美しさ」は、表現できる素材や場面が意外と限られてしまう。細かい線で構成された箇所は、小さいものやフラットではない素材では印象が保持できない。なんの図形だかさっぱりわからなくなることも多い。

もちろん、色彩も考慮する必要がある。モノクロはもとより、単色での利用も多くある。必ずしも「白い背景にカラフル朝顔」になるとは限らない。ホームページやテレビの画面で見ている「あのデザイン」だけが流通するわけではない。「D案」がオリンピックの主力商品であるTシャツやらタオルやらなどに展開することを考えたら、その表現力は美的な観点からも絶望的だ。

次に消去が考えられるのは「B案」である。これはコンセプトも魅力的で、シンプルで決して悪くないように感じる。しかし、冷静に見るとあまりにもシンプルだ。シンプルだから美しいとも言えるが、遠目で見れば「単なる円」でしかない。描かれている描画も1メートルも離れれば円にしか見えない。

つまり、多目的利用されている状況が浮かばない。具体的に言えば、Tシャツなどのワンポイントマークぐらいしか利用方法が想像できないのだ。百歩譲ってもブラウザ「Firefox」のノベルティ・グッズにも勝てない。

パラリンピックの方は円ではなく、上記には必ずしも当てはまらないが、「どこにでもありそうなスポーツロゴ風」であり、敢えて採用する意味がない。化粧品「ウエラ」の印象も漂う。いづれにせよ合わせ技で却下だ。

そうなると、残るは「A案」と「C案」だ。この両者は「B案」と「D案」に比べシンプル(単純)だが、がっしりとしたパーツで構成されている。むしろ繊細さはない。つまり、色が変わろうが、モノクロになろうが、微小になろうが、巨大になろうが、エンブレムそれ自体としての印象はほとんど変わらない。

よって、利用上、素材の違いによる印象変化も出にくい。布地でもフラット平面でも、はたまた花畑で作るフラワー装飾でも、概ね均一の印象を保持できる。ついでに言えば、「A案」と「C案」は両者ともに、日本の素材をモチーフにしていることも共通している。

以上から、「A案」と「C案」のいづれかが採用には適している、と言えるわけだ。五輪エンブレムとしては、組織委員会なり、JOCなり、IOCなりが期待している役割は全うできるだろう。この両者であれば、「どちらでも可」というのが筆者の率直な感想だ。

では、さらに突っ込んで、「A案」と「C案」ではどちらが適しているか? を考えてみる。
どちらでも良い、と言いつつも最終的には1つを選択せねばならない。もし筆者に選ぶ権利があるとすれば、「C案」を選ぶ。それはデザインやら、コンセプトやらといった表面的な議論ではなく、五輪エンブレムとしてのあり方を考えた機械的な判断で、だ。

「C案」である理由はシンプルで、2つある。

まず、「C案」がカラフルであり、「A案」よりも躍動感があるからだ。それ以上に深い理由はない。カラフルが良いデザインとは限らない、市松文様が躍動感がないとは言えない・・・等々といった指摘もあるだろう。デザインの専門的な見地からそういった判断が「ダサい」とか「低レベル」といった指摘もあるだろう。

しかし、一般的に感覚からすれば、「C案」のカラフルさと、フリーハンド調に描かれた描画には躍動感を感じる。つまり、「A案」は「静」であり、「C案」は「動」の印象だ。「動」はいうまでもなく、スポーツを想起させる。

もう一点は、これは「B案」にも言えることだが、基本的に「円(日の丸)」をイメージさせるデザインである、という点がマイナスだと感じる。前回騒動となったエンブレムは、1964年の東京五輪エンブレム(日の丸)へのリスペクトと継承に重点が置かれたデザインであった。

その美学は理解しうる一方で、過去を引きずる小さいなデザインコミュニティによる「内輪感」が出たことに批判が集まった。過去の継承・連関には意味と価値がある一方で、前回の問題がまだ尾を引いている以上、その継承性はマイナスイメージでしかない。

また、小さな点で言えば、「A案」はコーポレート・ロゴを想起させる「いかにも商業デザイナーが作りました」感も気になる。

そうなると、敢えて・強いてという前提で、「A案」よりも「C案」の方が受け入れやすい状態にあるように思う。前回のエンブレム騒動の影響や余波を考えれば、関係各方面は「褒められなくても良い、批判さえされなければ」という感覚になっているはずだからだ。

以上より、筆者は最終候補4案の中では、「C案」が五輪エンブレムとして適していると判断した。もちろん、それ以上にもっと良い案が無数にあるとは思うので、ベストではなく、ベターという意味で。

「C案」に対し、一部で「神様は宗教コンテンツなのでふさわしくない」といった批判がある。一見妥当に見えるが、こういう議論をしている人は、大概、小さな世界の専門性に耽溺し、「デザイン論のためのデザイン論」「議論のための議論」をしたいのだろう。小さな専門性の議論がいかに民意や世論から乖離しているのか、前回のエンブレム騒動での問題点を全く学習できていない。

雷神・風神はいったい「何教」の神様なのか。もちろん、古事記・日本書記にも登場するので、究極的には神話時代の「八百万の神」の一人だろうが、それは全てのモノ・コトに当てはまる。具体的な信仰や教派などではない。古来から生活に根ざした「カマドの神様」「便所の神様」「嘘ついたら地獄に落ちる」等といったレベルの話だ。十字架やブッダや鳥居が描かれているのとは全く異なる。

これは教養の浅さを露呈する批判の代表例だ。ついでに言えば、招致エンブレムに利用された「桜」は、古事記の登場する「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」という神様である。

【参考】<なぜ「炎上」は起きるのか>五輪エンブレム選考に見る「日本のデザイナーは勘違いで時代遅れ」

さて、「C案」推しと言いつつも、繰り返しになるが、筆者の趣味や美意識、デザイン感覚での判断は一切していない。五輪エンブレムの近年のあり方、扱われ方、位置づけからの逆算である。もちろん、商業主義に基づくエンブレム選択を必ずしも支持しているわけでも、ベストであるとも考えてはいない。もちろん、個人的な好みでもない。

あくまでも4案から最適解を導き出す手法として参考にしてほしい。そして、せっかくの機会なので、多くの人が様々な見解を述べ、議論し、「デザインはデザイナーのものだけではない」ということを実感してほしい。

 

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藤本貴之(ふじもと・たかゆき) 東洋大学総合情報学部・教授(情報デザイン論・メディア構造論)/北陸先端科学技術大学院大学・教育連携客員教授/藤本情報デザイン事務所・執行役員/JAGDA正会員/最先端のメディア研究・メディア技術の知見から、アカデミズムの枠を超え、企業や自治体などを対象としたメディア設計や情報発信戦略など、数々の実践的なプロジェクトを手がけている。主な著書に『だからデザイナーは炎上する(中央公論新社)』『情報デザインの想像力』『脳にアイデアを思いつかせる技術(講談社)』『映像メディアのプロになる!(河出書房新社)』など、多数。