辛口映画批評サイト「ロッテン・トマト」は日本でも可能か[茂木健一郎]


 

茂木健一郎[脳科学者]

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園子温監督の『ひそひそ星』は、予告編を見ただけでも匂い立つような独創性が感じられて、傑作の予感がするが、記者会見で、監督は、大いに吼えられたようで、たのもしいことだと思う。

園子温監督の言葉は、つまり、映画にもっとオリジナリティ、作家性を、ということだと思うが、大いに賛成である。日本映画を盛り上げるためにも、もっと、丁々発止のやりとりがあっていいように思う。

ところで、映画について思うのは、日本でも、ロッテン・トマトのような映画批評サイト、ないしはそのような批評システムは可能か、ということだが、なかなか難しいな、とも思う。

ロッテン・トマトは、常に正しいわけではない。というか、批評は、たとえ信頼できる批評家を集めても、常に正しいわけではない。その上で、さまざまな作品に対して、良い、悪いをはっきり言うことは、映画を育てる上で、大切なことだと思う。

映画は芸術であり、興行的な成績と、批評的な成功は必ずしも一致しない。いわゆるブロックバスターが、批評的に成功するわけではない(昨年の「マッドマックス」はどちらも成功した事例であるが、いつもそうとは限らない)。

【参考】<素のままの感情表現>ベッキーの言葉がなぜ共感を呼んだのか[茂木健一郎]

映画を批評する、容赦ない雰囲気がなければ、いい映画はできない。その点で、映画の宣伝、流通をめぐる日本の状況は、ぬるま湯と言われても仕方がないと思う。

テレビ局が絡んだり、大手芸能事務所のタレントさんが出たりすると、そのような映画は、タイアップなどで延々と宣伝されるが、果たして出来はどうなのか、ロッテン・トマトのような容赦ない評価がくだされることが、日本ではまずない。

もちろん、最近は、ネット上のユーザーレビューなどはあるが、それと、ロッテン・トマトのような批評家のレビューは、おそらく役割が違う。後者の不在が、日本映画にとって、不幸な事態を招いているように思う。

テレビ局が絡み、細作委員会方式で多くの大人の事情が絡み、大手芸能事務所のタレントさんが出た時点で、その映画についてのメディアの中での言葉が、ほぼ自動的に砂糖でくるんだものになると保証されている状況は、日本映画を長い目で見れば衰退させるだろう。

では、ロッテン・トマトは、日本でも可能か。難しいだろうが、やってみたらいいと思う。批評は自分の判断の積み重ねであり、その意味で、園子温さんの言われる映画つくりの独創性と起源は同じである。ロッテン・トマトのようなサイトができたら、日本は映画だけでなくてだいぶ良くなるんじゃないか。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。