西野亮廣が人気番組のレギュラーを断り「ハミダシター」MCを望んだ理由

エンタメ・芸能

西野亮廣[芸人(キングコング)]
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一人で呑み屋に入ったら、友人のNONSTYLE石田君がいた。彼とはデビュー当時からの付き合いで、何でも話せる仲なので、あれこれ話し込んだ。
実は先日、とある人気番組のレギュラーの話をいただいたんだけれど、次の瞬間、NONSTYLEの顔が浮かんで、「これだったら、僕なんかよりも、NONSTYLEがやった方が絶対に面白いよなぁ」と思って、お断りした。
聞こえはすごくカッコイイけれど、つまるところ「自分が勝てる試合しかしない」という逃げだよね。石田君本人にも、そのことを白状した。
NONSTYLEは本当に面白いし、才能もある。それに比べて僕は・・・。まぁ面白いしモーレツに才能もあるんだけれど、しかし得意分野は超狭い。本日(5月29日)放送のフジテレビ『ハミダシター』の聞き役(MC?)は芸能界で僕が一番向いているから、「なんとしてでも僕にやらせろ!」って感じなんだけれど、あんな変態的な番組は数少ない。
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僕は負け戦には興味がなくて、「これは他の誰よりも、自分がやった方がいいな」という仕事しかしないようにしている。今のテレビで、それを貫こうと思ったら、テレビ以外の活動を充実させる必要がある。
というかリアルな話をすると、テレビ以外で十分に食っていける環境を整える必要があって、スッタモンダがありまして、「お笑いライブで十分すぎるほど食えていける環境を作ろう」と結論した。
で、「お笑いライブ(演劇寄りのライブではなく、たとえば単独の漫才ライブ・トークライブ)で食っていけている芸人さんって誰だろう?」と考えた時に、ここ半世紀近く誰も見当たらなくて、その原因を探ってみることにした。
分解して考えていくと、最終的に辿り着くのは「お笑いライブ」を終わらせている原因は、『思想』ではなく『収益』で、今の「お笑いライブ」の仕組みだと、基本的には努力に対して収益の見合わないので、「テレビに出よう」という話になってくる。
「お笑いライブ」を一つ立ち上げようと思ったら、大変な体力が必要だ。ネタを作らなきゃいけないし、稽古をしなきゃいけないし、チケットを捌かなきゃいけない。それなのに「お笑いライブでは食っていけない」というのが常識になっちゃっている。
これもどうなんだろう? 何か取りこぼしてるんじゃないかな?
あれやこれやと考えている内に、「そういえば、ライブ終演後のお客さんの行動を1ミリもデザインしていなかった」という問題に辿り着いた。
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SNSや何やらで必死に集めた数百人、数千人というエネルギーを、ライブ終演後「ちょっと、ご飯でも食べて帰ろっか?」的な感じで、僕達の活動とは何の関係もない(ただ劇場から近いだけの)居酒屋やファミレスに流している。しかし、その居酒屋やファミレスからはエネルギーがコチラに流れてくることはない。
その居酒屋やファミレスの収益を、お笑いライブに還元することができれば、もっと高品質なライブが提供できるだろう。なにより「お笑いライブで食っていく。果ては、テレビと交渉ができるようにまでなる」という未来がひらけるじゃないかと思って、お客さんのエネルギーをグルグル循環させる『町』を作ることにした。
それが今進めている「おとぎ町(https://camp-fire.jp/projects/view/4854)」だ。
これでも、だいぶ間をハショっているんだけれど、人に話すときは更に酷くて、「僕、町を作りたいんですよねー」の一行で終わらせちゃう(だって面倒くさいもん)。だから、たいてい「何言ってんの? お前、イタイね」の雨あられ。
そして、あげ足を取られたり、批判されたりすることは日常茶飯事なので、自分の中では「まぁ、そういうもんだよね」と思い、何とも思じない(先輩芸人がしつこく言ってきた場合だけは全力で叩きにいくけど)。
そういう場合、基本的にはヘラヘラしているんだけれど、僕の友人らは、そういうわけでもなさそうで、僕をイジる人と、ときどき居酒屋でバトっている。そもそも僕がキチンと順を追って説明していれば起こっていなかった戦なので、いやはや申し訳ない。
昨日、本を作られている方と話していて、

「電子書籍には想像していたような大きな未来は待っていない。本は『おみやげ』として残せるから、『おみやげ』として残る本を作りにいった方が効率がいいと思います。なぜなら、人は体験に流れるから」

という話をしている途中で、その人から、いちいちあげ足を取られた。その時は、友人がキレてしまったんだけど、僕は「まあまあまあ」と止めに入った。
あげ足を取る方の気持ちも分かるし、自分のことのように怒ってくれる友人には感謝している。しかしなにより、「もっと上手く説明できるようになれよ」と自分に対して思うんだけれど、僕自身、学習する気配がまるでない。
酒場の帰り道は、いつも「なんか、ごめんね」と友人に謝っている気がする。
 
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