<一億総芸人化に危惧>山本圭壱「めちゃイケ」復帰に見る公開リンチというルール?


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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現在のテレビのバラエティ番組を見たときに、大変気になることがある。

今はどのバラエティを見てもいわゆる芸人と呼ばれる人が出演している。「こんなところに芸人を使わなくても良いだろう」という位置にも芸人が座っていて、感動して泣いたり、政治についてコメントしていたりする。

これら芸人が出る番組では、「芸人だから当たり前のルール」が適用されているが、これを見ている最近の若い人たちは、この「芸人のルール」に毒されているように思えてならない。「そんなことをしなくてもいいのに」と筆者は若い子たちを見てそう思う。

「芸人だから当たり前のルール」というのは、例えば次のようなことである。

  • 質問されたらボケなければいけない。
  • 気の利いた会話のやりとりをしなければならない。
  • メンバーを見て自分の立ち位置を決めなければならない。
  • みんなに分かりやすいキャラクターを身につけなければならない。
  • 突っ込まれたらそれがいじめだと同じくらい激しくても、おいしいと思って耐えなければならない。
  • 上手くしゃべれないとひな壇(仲間)に昇格できない。
  • 空気を読まなければいけない。

この「芸人だから当たり前のルール」が、素人の友達関係でも援用されているのではないか、と感じるのだ。いわば、「1億総芸人化」だ。

【参考】<見えないクレーマーに怯えるな>山本圭壱の復帰「めちゃイケ」で見せた往年の手腕に期待

テレビが発する「芸人ばかりが結局目立っている」という強迫観念。芸人のようでなければ仲間に受け入れてもらえないという同調圧力。そういったものに若者はさらされているのではないか。もっとも、その一方でテレビを見る若者は減っているので、そう大した影響力ではないのではないかとも思う。

普通の人は、芸人ではなくても良いのである。

芸人ではないので「芸人だから当たり前のルール」は適用される必要はない。そもそも空気など読まなくて良いのだ。芸人でもタレントでもないのだから。

先日、7月30日のフジテレビ『めちゃ×2イケてるッ! 夏休み宿題スペシャル』で極楽とんぼ・山本圭壱の復帰ドキュメントを見た。画面上では、複数回にわたり、山本の出演について、異例のお断りテロップが流れた。

「【山本圭壱氏の出演について】 10年前に事件の当事者間の和解も済み、逮捕もなく、不起訴処分だったことに加え、本人が10年間の謹慎という、十分な社会的制裁を受けていると判断したものです。」

字幕スーパーは公式な番組および局の姿勢を表明するものだから、山本は番組や局やスポンサーに許されて現に画面に映っている、ということになる。

にもかかわらず、『めちゃイケ』のメンバーは山本に対し、「我々は謝罪の言葉を聞いていない」として画面上での謝罪を強要する。これはリンチ(私刑)そのものではないか、と感じて、たとえ演出であれ、筆者は非常に気分が悪くなった。

もし、メンバーへの謝罪が必要であるのならば、画面の外、つまり、視聴者には見せずにやるべきことだ。しかも、謝罪を感動に持って行こうとするあざとさも露骨で、ますます気分が悪くなった。

まるで、『めちゃイケ』に復帰するなら必ずや適用されなければならないルールがあって、それを押しつけているように思えた。そのルールとは、

  • 「さらしものされることに耐えなければならないのは当然である。」

というルールだ。

これは「芸人だから当たり前のルール」でさえない、と筆者は思う。こればかりはたとえ「1億総芸人化」したとはいえ、くれぐれも普通の人は真似しないで欲しいものだ。

 

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