<リオから東京へ>オリンピック成功の秘訣は「アスリートが主役」という本質[茂木健一郎]


茂木健一郎[脳科学者]

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リオ五輪が、終わってしまう。今回の五輪は、ほんとうに面白かった。日本人選手が活躍するのももちろんうれしかったが、アスリートたちが、4年に1度の真剣勝負に向き合っている、その姿がよかった。勝者もそうだが、敗者もまた、強く記憶に残った。「リオロス」になりそうだ。

リオ五輪は、事前には、いろいろな「懸念」材料が伝えられた。スタジアムなどの建設が遅れ気味だとか、大統領が弾劾で変わって、出席できないかもしれないとか、ジカ熱のこととか、さまざまな心配があったけれども、開幕してみたら、あのような盛り上がりである。

どういうことなんだろう、と考えていて、ああ、こういうことか、と思ったことがある。スタジアムうんぬん、大統領うんぬん、街の治安うんぬんは確かに懸念材料ではあるが、最低限の条件が揃えば、実はオリンピックの本質ではない。

【参考】<東京五輪も無問題?>五輪開催前の問題はアスリートの演技の前にすべては消える

オリンピックの本質とはなにか? それは、この日のためにものすごく鍛錬をしてきたアスリートたちの、精一杯のパフォーマンスである。その生身の肉体の躍動が、私たちを感動させる。それ以外のことは、すべて、枝葉末節と言っても良いのだ。

当たり前のことだが、オリンピックは、アスリートたちのためにある。アスリートたちの努力、鍛錬が強度を保ちつづけるかぎり、他のことは、アスリートたちの邪魔にならない限り、所詮は副次的なことでしかないのだ。だからこそ、オリンピックには、「ほんもの」がある。

オリンピックに出場したアスリートにお話をうかがうと、引退したあと、「これからどうしよう」と茫然としたとうかがうことが多い。それくらい、人生のすべてを、その競技にかけている。逆に言えば、そうでなければ、あの場に立つことはできない。

人生のすべてをかけて、練習して、鍛錬して、オリンピックに出て、それでも、良い成績かどうかはわからない。ましてやメダルをとれるなんて、奇跡のようなものだ。そのような熱と、過酷なドラマこそが、オリンピックのすべてである。

2020年の東京五輪についても、これから、いろいろなことが言われ、さまざまなことが「懸念」されるだろう。しかし、五輪の本質がアスリートたちの躍動にあるということさえ忘れなければ、東京五輪はきっと成功するし、私たちの記憶に長く残るイベントになるだろう。

 (本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。