<変化なき人生?>「マイルドヤンキー」と「意識高い系」の共通点


茂木健一郎[脳科学者]

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先日、ふと、いわゆる「マイルドヤンキー」の方々と「意識高い系」の方々には通じるところがあるな、と感じたので、そのことについて書いてみたいと思う。

「マイルドヤンキー」の方々は、地方都市ならば地方都市にいて、そこで仲間たちを大切にまったりと暮らしていらっしゃる。ファッションにも一定の傾向があって、グローバル化とか、英語とか、そういうこととは比較的遠いイメージがある。

一方、「意識高い系」の方々は、常に向上心があって、グローバル化とか、英語とか、そういうことにこそ興味がある、というイメージがある。つまりは「マイルドヤンキー」とは対極のように見える、というのが、普通の考え方だろう。

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しかし、先日ふと思ったのは、「意識高い系」の方々は、グローバル化や英語、向上心という物語を「コンフォートゾーン(快適な領域)」として、そこに安住しているという意味では、「マイルドヤンキー」の方々とそんなに変わらない、ということである。そう考えると、いろいろ腑に落ちた。

以前から思っていたのだけれども、学生さんで、これから英語を大いにやって、外資系の企業につとめて国際的に活躍するぞ! みたいな典型的な「意識高い系」の方はもちろん、実際にそのような活躍をされている方々にも、妙な「これでいいのだ」を感じることがあるのである。

国際的意識高い系の用語として、「純ジャパ」「半ジャパ」「ノンジャパ」というものがある。この分類で言えば、「マイルドヤンキー」は「純ジャパ」なのだろうけれども、「半ジャパ」や「ノンジャパ」にも、同じようなコンフォートゾーン安住の気配を感じる。

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つまり、こういうことだと思う。

意味があるのは変化のみである。人生は旅なのであって、英語ペラペラでも、その状態に安住していたら、変化がない。それは、「マイルドヤンキー」の「まったり」と、何も変わるところがない。「意識高い系」も、同じように「まったり」しているのだ。

変化しているか、それとも安住しているか、という視点から見ると、「マイルドヤンキー」と「意識高い系」には共通点があるのだと思う。変化を志向する人はいつもざわざわして、ごつごつして、そのざわざわ、ごつごつにこそ、自分のアイデンティティをすり減らし、育てていくダイナミクスの本質がある。

  (本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 

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茂木健一郎

茂木健一郎(もぎ・けんいちろう)脳科学者。株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所上級研究員。1962年10月20日、東京生まれ。東京大学理学部、法学部卒業後、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻課程終了。理学博士。理化学研究所、ケンブリッジ大学を出て現在に至る。「クオリア」(感覚の持つ質感)をキーワードとして脳と心の関係を研究するとともに文芸評論、美術評論にも取り組んでいる。