<ノンフィクションの種:旅番組にどこまでネタを仕込むべきか?>ブラジルから北海道に里帰りした母娘はつぶやいた「失礼しちゃうわ」

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

 
旅番組にどこまでネタを仕込んだら良いのか、これは良くぶつかる問題である。
旅番組が増えたせいもあるだろう。ネタを仕込まなければ面白いはずがない、というのは一般的な考え方である。しかし、旅番組では仕込んだネタがあまりにつまらないと、ぶっつけ本番のほうが面白いということになる。
今、海外でも、国内でも、バスでも歩きでも自転車でもぶっつけ本番をウリにしている番組が花盛りである。なまじネタを仕込んであるとリアクションがわざとらしくなる。だったら出たとこ勝負でリアクションが面白いほうが良い、というわけだ。
だが、「ぶっつけ本番」は安易に頼ると危険だ、見るも無残な結果になることもある、ということも知っている。しかし、つまらないネタでリアクションもつまらなければ最低である。だったら、まだぶっつけのほうが良い、面白いリアクションのほうが良い。だからタレントの一瞬芸に頼ったほうが良い、と。考えが堂々巡りしていい結果を招くことはあまりない。
函館から網走まで老人たちと旅をする番組を作ったことがある。
旅をするのは一般のツアー客だ。あちこちの観光地見学をしたり、名物を食べたりした。そこにタンレントが絡む。途中の駅に待っていたり、観光地で出会ったりする。
老人たちにはすべてが新鮮だった。リアクションは自然で楽しめるものばかりだった。そのツアーの中にブラジルから北海道に里帰りをする人を見つけて、忍ばせておいた。40代の母と10代の娘だった。娘には初めての北海道だった。母親は娘に故郷というものを見せたかったはずだ。娘に何度も故郷を語っていたに違いない。
故郷に向かうために母と娘はツアーの一行と別れて単独行動となった。舞台は北見の駅だったと思う。これからはすべて自分で動かなければならない。出札口で北見からさらに先の海沿いの、彼女が生まれ育った町の名前を言った。初めて見るふるさとに期待を膨らませていた・・・はずだったのだが、いかんせん駅員の反応が良くない。
もう一度駅の名前を伝える。駅員はその駅はもうないという。ずいぶん前になくなっていたようだ。今は、バスが通じているという。母親は憮然としていた。外へ出ると母親は故郷がある方向へ突き進んでいく。一面の雪だった。母親は雪を掘り始めた。「失礼しちゃうわ」彼女は泣きそうになってあちこちの雪を掘り進める。
すると出てきた。まだ昔の線路がそのまま残っていたのだ。「失礼しちゃうわ」とつぶやき続けながら母親は線路を掘り出し続けた。母親の記憶には故郷に向かう線路がはっきり残っていたのだろう。
娘は脇でじっと母親を見ていた。
結局、母娘はバスで故郷に向かった。母親は実家を探し出すことが出来た。だが、もう誰も住んではいない。朽ち果てていた。そして母親が想像したよりずっと小さなものだったようだ。「失礼しちゃうわ」と、何度も何度も言う。
この北海道からブラジルに移民したのだ、それほど楽な生活が出来たはずもない。だが、彼女の意識の中の実家はもっと立派なものだったのだろう。こんなはずではなかった、と。
単なる雪の景色が人生の断面を映す景色に一変した。仕込んだはずが勝手に物語は進んでいく。
親子にはもう他に向かうべき場所もなかった。親子はツアーの最終目的地に進みツアーの一団と合流した。そのときにはもう明るい陽気な親子に戻っていた。
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