お盆で股間隠す「アキラ100%」のお座敷芸が「R-1ぐらんぷり2017」優勝


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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「一体この番組は何を目的に放送しているのだろう」

これが2月28日放送の『R-1ぐらんぷり2017』を見た率直な感想だ。ふつふつと疑問が湧いてきたのでリアルタイムで見た後、もう一度VTRで見た。

 冒頭のナレーションで「日本一のピン芸人を決める」と謳っているが、決めなくとも日本一のピン芸人は、明石家さんまであることは誰の目にも明らかである。すると、ここで言う「日本一のピン芸人を決める」というのは、これはある枠に限った人だけが出場して決定する「ピン芸人日本一」ということなのだろう。

もちろん、そんな嫌らしい書き方をせずとも、「まだ世に出ていない若手の芸人の中から日本一実力のあるピン芸人を決める」ということであることは筆者にも何となく分かる。

しかし、番組としては、結果的にそうなっていない、というのが筆者の感想であった。

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 「M-1」と「R-1」は似て非なる番組である。「M-1」は漫才という枠の中でその「ネタとしゃべくりの技術」で最も優れたユニットをチャンピオンにする番組である。優勝者はスターダムにのし上がり、油断なく励めば次代のテレビを担う人として育ってゆく。

ところが、「R-1」は違う。

もともと「R-1」のRは「Rakugo=落語」のRである。しかし、落語では視聴率がとれない(と、テレビ局が判断したため)ピン芸人に枠を広げた。

筆者は2004年のほっしゃん(現・星田英利)が優勝した回で決勝進出者を決める際に審査員を務めた。この時、上方の噺家がひとり居たが点は上げられなかった。おもしろかったが、落語ファンとして、噺家を同じ土俵で戦わせるのは忍びなかったからである。

今、最も力があっておもしろい春風亭昇太や桂三度(旧・世界のナベアツ)が出場しても彼らが「R-1」で頂点に上り詰めることはあるまい。出ようとも思うまいが。

いまの「R-1」の状態を説明すると、スキーとスケートと競馬と競輪とスプリントランナーと車椅子ランナーとリュージュとボブスレーの競技者が同じグラウンドでスピード競争を行うような状態になっている。その一位はどうやって選ぶのだろうか。その一位にどんな意味があるのだろう。

プロ芸人の審査委員も苦労しているようだった。桂三枝、関根勤、清水ミチコ、ヒロミ、板尾創路の面々である。

こうした場合、その場で刹那的に受けた芸人に投票せざるを得なくなる。審査委員というのはなるべく実力のあるものを引き上げてやりたいものだが、「受けている人に投票しないと審査員としての自分自身が客にそっぽを向かれるのではないか。かといって、それだけで選んではプロとしての眼力も問われる」という板挟み状態になる。

それが分かる発言もあった。桂三枝と板尾創路は「悩んだが、今回はこの芸もありだとすることにした」との趣旨の発言をしていたのである。

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その結果、頂点にたったのは「アキラ100%」。お盆で局所を隠し、様々な動きを見せる芸である。これは座敷芸であって、太鼓持ち(幇間)のやる隠し芸のようなものである。将来に発展していく芸ではない。次代のテレビをになう人材にはなり得ない。

司会の宮迫博之も、審査員陣も「アキラ100%」が将来自分を抜いていくかも知れない芸になるという恐怖感を微塵も感じていないだろう。

フジテレビ、関西テレビという東西のキー局が主催する「R-1」である。チャンピオンにならずとも、2位以下に次代を担う人が見つかればいいのかも知れない。そう言う意味では群を抜いて可能性が感じられるのは「ゆりやんレトリィバァ」。少し間が空いて「横澤夏子」というのが筆者の感想である。

総じて論評すると「R-1」を「M-1」と同じ仕組みで番組にするのは無理がある。芸人を愛しているなら新たな仕組みを考える必要がある。それは何もコンテストには限らないだろう。

それから「アキラ100%」さんに一言。

有名になると、客は本当におもしろい芸でなくても、おもしろそうな雰囲気だけで笑ってくれるようになります。でもそれは芸人にとって大きな落とし穴です。その罠にはまらないよう気をつけて、大化けすることを祈っています。

 

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