<コントはドラマか?ドラマはコントか?>山田太一ドラマ「想い出づくり」森昌子と加藤健一の名シーンとビートたけし


高橋秀樹[放送作家]

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1970年代のドラマについて書いてくれた貴島誠一郎氏(<未来のドラマ製作者よ、これは見ておけ>鎌田敏夫・脚本「俺たちの旅」、向田邦子・脚本「時間ですよ」、山田太一・脚本「岸辺のアルバム」)が、私に「補足せよ」というリクエストである。門外漢の私に補足などできるのだろうか。

放送作家になりたての1965年ごろ、私は20代だった。先輩作家に「君は何がやりたいの」と問われて「コントが書きたいです」と、答えたところ「そうか、ドラマかあ」と言われてキョトンとしてしまったことがある。僕が書きたいのはコントであってドラマではない。

井上ひさしさんが書いた「てんぷくトリオ」や、岩城未知男さんが書いた「コント55号」や、河野洋さんが書いた「クレージーキャッツ」や、喰始さんという年齢の近い作家が書いているらしい「ゲバゲバ90分」のコントであって、コメディでもない。

大体、コメディなんていうもので、面白いとおもったものは「ひょっこりひょうたん島」しかない。あれなら書けるものなら書いてみたい。そんなことを考えていると、先輩作家はいぶかしがって、慌てた様子で歌番組の収録に去って行った。

自分の書いたコントが、ボチボチと採用されだして、しばらくすると、私にも「コントはドラマ」という意味が少しずつ解ってきた。それは「コントにはドラマ性が必要」という意味だった。ドラマ性というのは、解りにくいが、私なりに定義すると、「おどろきがある設定」ということだ。それならまさしく「コントはドラマだ」。

逆に「ドラマはコントか」というと、それはぴったりくる感覚ではないだろう。

お見返すと放送作家になって、知り合った実力のあるコント作家がドラマの分野に進出していった。大先輩・松原敏春さんはW浅野の「抱きしめたい」で、トレンディドラマの寵児となり、向田邦子賞もとった。私に台本の書き方を教えてくれた水谷龍二さんは、日活ロマンポルノを何本か書き、久世光彦演出の「ビートたけしの学問ノススメ」を書き、劇作家になった。

コントの発想では絶対にかなわないと、舌を巻いた浦沢義雄さんはアニメや、少女ものの巨匠になり、「魔法少女ちゅうかないぱねま!」では、原作者の石ノ森章太郎に、「あれは、僕じゃなくて、浦沢君の作品だ」と言わしめた。変なアイディアばっかりで使えねえよと思っていた後輩の三谷幸喜はだれ一人知らぬ者のない人気作家になった。

優秀ならばコント作家はドラマも書けるのだ。

私は、才能も、勇気も、そこそこはもらえるようになっていたバラエティのギャラを手放す覇気もなく、ドラマにはゆくことができなかった。

1970年代から、私はドラマもあまり見なくなっていた。それでも、夢中になって見ていたのは2本。小山内美江子脚本「父母の誤算」。山田太一脚本、鴨下信一演出「想い出づくり」。両方とも1981年の作品だと今調べて分かった。

「想い出づくり」は、結婚適齢期の女性を演じる3人の絶妙なキャスティング(森昌子、古手川祐子、田中裕子)と、職業設定(森-ガム工場の女工員、古手川-小田急ロマンスカーの販売員、田中-商社のOL)に、とてもかなわないと思った。普通なのに、ドラマティックだ。

演出もすごい。シーンの終わりに、次のシーンのセリフがもぐりこんでくる。セリフが先に聞こえてきてシーンが変わる。こうすると、テンポが出ることを学んだ。これは、演出の乗せたことだろうと思って、出版された台本を見たら、「音先行して」とちゃんと書いてあった。演出の書き込みをそのまま印刷したのだろうか、それとも台本オリジナルか。普通は、脚本には、演出のことはあまり書かないというのがルールだ。

セリフも鋭い。森昌子に求婚している加藤健一が森の家を訪れ、帰らぬ森を待つ。森の父役の前田武彦(このキャスティングもすごい)が、加藤に帰ってもらいたくて次のように言う。

「いつまでも待ってもらっても悪いから」

すると加藤が答える。

「いいえ、僕は、待つのは平気です、待てば待つほど、僕の立場が強くなるから」

いいせりふはドラマの花であるが、コント作家はそれを書くのが恥ずかしい。

それでも、僕は、このセリフがいたく気に入ったので「オレたちひょうきん族」の、「タケちゃんマン」の中でパクった。ビートたけしの鬼瓦権造のもとに、ボンデージ姿のさんまのお待ち娘が忍び込んでくる。さんまが「お待ち~」というと甘えると権造が、こう答えるのである。

「いいえ、僕は、待つのは平気です、待てば待つほど、僕の立場が強くなるから」

たけしさんはこのセリフを採用してくれなかった。(高橋秀樹[放送作家])

 

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