<テレビの創造性はどこへ行った?>番組企画さえ多数決で決める?!編成局主導の番組作りがテレビをダメにした

テレビ

高橋秀樹[放送作家]
2014年1月24日

 
テレビ局の心臓部は、実際に番組を作る制作局や、報道局だと思っている人が多いかもしれない。しかしそれは違う。現在の心臓部は編成局である。編成局の主な仕事は、提出された番組企画の採否を決めたり、打ち切りを決めたり、番組の製作予算を決めたりすることである。テレビ局社員の出世コースの道筋でもある。制作局や報道局を経験していない役員はいくらでもいるが、編成局を経験していない人はいないだろう。
かつて、編成局はテレビ局の黒衣(くろこ)として機能していた。製作現場から編成局に番組企画が上がる。現場が局としてやることを承認して提案してきた番組は、基本的に採用である。後は、編成局がこれを実現するために営業局との交渉に当たり、放送の時間枠を決めれば番組はスタートした。
現場と編成局が蜜月だった時代には、心ある編成マンというのが、どの局にも一人はいて、現場が上げた企画に「ほれ抜いて」、例え役員などからの反対があったとしても、

  • 「番組は俺が着地させるから」
  • 「心配しないて内容を充実させてほしい」
  • 「最初は視聴率が悪くても絶対守る」

・・・という剛毅な発言で現場を鼓舞したものだ。テレビ局の主役は番組を作るほうだ、ということを理解していたのである。
ところが、編成局はどの局でも次第にのさばってくるようになった。番組の消長と、予算を握っているのだから強くて当然なのだが、その権力を振り回しては、ものづくりをする現場が萎縮するので、ほどほどにしておこうという矜持がいつの間にかなくなったのである。
テレビ局が本来の仕事である、番組作りのことを忘れ、利益至上主義になったバブルのころと、期を一にするように編成局は強くなった。宣伝費がテレビに振り向けられなくなり、予算の締め付けが始まったころに編成局はまた強くなった。
編成局が強くなって何が起こったか。まず、これまでは決して出てこなかった現場の企画会議に編成マンが出てきて番組作りには必要のない観点から意見を言うようになった。何も生み出すはずもない会議の時間ばかりが延びる。企画が通るのに時間がかかるようになった。
このころ信じられない話も耳にするようになる。編成局は番組の企画を決めるのに合議の多数決制をとっているというのである。これではとんがった新しい番組の企画は通らない。通るのは安全運転の企画だけだ。多数決制は、責任を分散する。集団浅慮が起こる。この番組は「俺が支える」という編成マンが消えていった。
その結果、番組は「あの局のあの時間帯でヒットした番組」ばかり、つまりコピー商品ばかりとなり、同工異曲の番組が氾濫した。変わった発想をもつ現場の得がたい人材は存在価値がなくなった。最も大切にしなければならない視聴者は見る番組がなくなったのだ。
いまや、編成局の権限は絶大である。編成局が役者をキャスティングし、現場に「この人でドラマを作れ」と命ずる。スターシステムでは良いドラマは生まれない。バラエティでは、編成局がすでにヒット番組を持つプロデューサーを指名し、いくつも番組を作らせる。同じ人にそう違った発想があるわけもない。
編成局が強いことは、もちろんタレントを抱える芸能プロダクションも知っている。プロダクション側は日参する場所を制作局から編成局に変え、肝の部分を握ろうとする。編成局とプロダクションの蜜月は、ただでさえ番組作りの弊害になっているプロダクションの発言力をますます強くする。プロダクションは、番組の内容ばかりか、編成権(ここではどの時間にどの番組を配置するかに限った意味)さらには人事権にも口を出すようになる。
この状態には「政治」はあるが、「創造力」はうまれないのだ。