<日本人は美談が大好物>佐村河内守氏の「作曲・障害偽装」問題と「一杯のかけそば」騒動の共通点

エンタメ・芸能

高橋秀樹[放送作家]
2014年2月16日

佐村河内守氏の「作曲・障害偽装問題」で、直ちに想起するのは、1989年、平成に変わる直前の昭和64年に発生した『一杯のかけそば』騒動というのがあったことを思い出す。
『一杯のかけそば』は、栗良平氏の掌編で、お話はこうだ。

昭和47年の大晦日の晩、札幌の時計台横丁にある「北海亭」という蕎麦屋。店主夫婦が店を閉めようとしているところに、子供を2人連れ季節外れの半コートを着た母親がやってきた。母親は心配顔で、「かけそば一杯ですがよろしいですか」と尋ねる。何か事情があると察した店主は母子を店内に招き入れ、母子には知られぬよう内緒で多めに蕎麦を茹でた。母子は出された1杯半分のかけそばをおいしそうに分け合って食べて、150円の代金を払って店を後にした。
翌年の大晦日も、母子はやってきて一杯のかけそばを3人で分けて食べた。
そして翌々年、「北海亭」の夫婦は、3人の会話から母子の事情を知る。父は交通事故で亡くなった。母親は朝から晩まで働いて事故の補償金を払い続けてきた。子供は新聞配達で母を支えた。そして今年、やっとその倍賞金を払い終えた。だから今年は3人で2杯の「かけそば」を食べよう。母子の話に涙が止まらなくなる夫婦。
しかし、蕎麦屋夫婦が待っているにもかかわらず、翌年から母子は来なくなってしまった。それでも夫婦は大晦日にはテーブルに予約席の表示をだし、母子の来店を待ち続けた。そして数年後のある大晦日、現れたのは、医者の卵になった兄と、銀行員になった弟、和服姿の母親の3人だった。兄が語る。
「私達は14年前の大晦日の夜、親子3人で1人前のかけそばを注文した者です。あの時、一杯のかけそばに励まされ、3人手を取り合って生き抜くことが出来ました。それで、今までの人生の中で最高の贅沢を計画しました。それは大晦日に母と3人で札幌の北海亭さんを訪ね、3人前のかけそばを頼むことでした」
涙でくちゃくちゃになった顔で主人は声をかける。
「あいよっ! かけ3丁!」

この美談に日本人のほとんどが感動の涙を流し、本は売れ、ワイドショウは大騒ぎし、平成4年には、電通と東映によって、文部省選定の映画にまでなった。この話で、涙を流さない奴は「人にあらず」だというような風潮も出来上がり、冷静なタモリはこの現象を確か「涙のファシズム」と呼んでいたと思う。
しかし、この美談、その後次々と、スキャンダルが明らかになる。まずノンフィクションだといわれていたこの話が作り話だったという「嘘」、作者の「学歴詐称」、それから作者の「寸借詐欺」。これらのスキャンダルはたちまち広がり、その時もやはり、なぜ、嘘を見抜けなかったのかという話になった。
その理由は、今回の「作曲・障害偽装問題」と構造が同じで、日本人が美談が大好物だからである。こうした美談は視聴率や購読者数を稼ぐので、マスメディアが飛びつき、大げさにしてゆく。嘘を一度つくとその嘘を糊塗するために、さらに嘘が重ねられ、にっちもさっちもいかなくなる。告白するタイミングは失われる。
お涙頂戴や、美談仕立ては、三文芝居のあざとい演出だが、芝居ではないと謳うこれらを観る者は疑って観る必要があるというのが昔からの決まりであった。