<自分の学校とろう学校の違いは「牛乳瓶のキャップ」?>大人が期待した答えを出さない子どもの純粋を大事に


今村彩子[映像作家]

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私は、ドキュメンタリー映画を撮っています。生まれつきの重度難聴で、補聴器を外すと全く音が聞こえません。

去年の12月に名古屋市内にある小学校を訪れ、1年から6年までの200人の子どもたちの前でお話しさせてもらいました。講演は年に50回ほどやらせていただいていますが、全校生徒の前で話すのは初めてでした。その時は、1年生にも分かりやすく話そうと私の手話を読み取り、音声日本語に通訳する手話通訳者と打ち合わせしました。

体育館に入ると「400の瞳」が私と通訳者を見つめました。どんな人なのかな。どんなことが起きるのかな。何を話すのかな。とわくわく感で輝いている瞳。その瞳の輝きに私は胸が「じーん」としてしまいました。背が低い私のために用意してもらった台の上に立ち、手話で「こんにちは。今村彩子です」と表しました。

真ん中の男の子が私の手話をまねて手を動かしているのが見えました。1年生の子どもは「ろう者」はもちろん、「手話」もテレビ番組の「字幕」という言葉も知りません。その言葉の意味を説明しながら、

「ろう者を見たことある?」

「手話、見たことある?」

「聞こえないってどういうことか分かる?」

と聞きながら話を進めました。

私の問いかけに「ある!」と元気よく手を挙げる子どもたち。3番目の質問には分からないとみんなが首をふりました。聞こえる人たちにとっては、聞こえないという経験がないので、全く聞こえないと話してもどんな状態なのか分かりません。耳をふさいも外の音を全く遮断することもできないし、自分の体の中を流れる血管や心臓の鼓動などが聞こえるから、無音の状態というのは経験できません。

私は言いました。

「テレビの音を消して見てみて。音がしないよね。

何を言っているか分からないよね。

車の音も車の姿が見えるんだけど、

私にとっては補聴器を外したら、音がしないんだ。

友達が話している声も笑顔で笑っているのが見えても声はしないんだ」

子どもたちは真剣な顔で聞いていました。

最後に千種ろう学校の小学部6年生の子どもたちと聞こえない先生の様子を撮ったドキュメンタリー映画を見てもらいました。上映後、子どもたちに聞きました。

「どうだった? 自分たちの学校とろう学校、どんなところが違うって思った? 自分の学校とろう学校の先生や友達のことでもいいよ」

すると、ハイハイとまた元気な声と同時に小さな手がたくさん上がります。そして、一番前の1年生の男の子をあてると、

「給食の牛乳のキャップが違う」

と元気よく答えました。私は苦笑してしまいました。が、そのあと、すぐ「ダメじゃん!私!!!!」と思わされました。なぜなら、私が「答え」を求めていたからです。

「ろう学校の子どもたちは手話を使っている。ぼくたちわたしたちと言葉が違う」

という「回答」を求めて、子どもたちの感想を聞こうとしながらも心から耳を傾けようとしてなかったから。そんな自分をすごく恥ずかしく思いました。

講演があったその夜、胸のあたりがもやもやしていました。あの「牛乳のキャップが違う」と言ってた子、どうしてそんなことを言ったんだろうとずっと考えていました。そして、「あ!」と気づきました。

あの子は、「聞こえない子どもたちと自分たちの間に違いを感じなかった」のだろう。自分たちと同じように、ろう学校の子どもたちも友達がいて、勉強では、同じようにやる気をなくすし(上映したビデオの中にろう学校の子どもがやる気が出ない・・・と顔を覆ってしまう場面がある)、給食のときは授業のときとガラッと変わって元気になって騒がしく先生や友達とおしゃべりしながら食べている。「自分の学校と同じじゃん」と思ったのだろう。

ただ、給食で「牛乳のキャップが違う」ことに目がいったから、そして、私の「どんなところが違うと思った?」という問いにそのまんま答えたのではないかと。

私は大人としての「正しい答え」を子ども達に求めていた自分に怖いと思いました。もっと怖いのは自分がその行為をしていることに気づかずに、子どもたちを洗脳してしまっていること。私たち大人にない素晴らしい発想をする子どもたちを、常識に固まった大人にしてしまうことです。

子ども達が学校で学ぶ「学問」は「学び」「問う」もの。子どもたちの問いに一緒に考えて答えを見つけていく過程が、学ぶということで「学問」。子ども達が問うと「それよりもこれが正しい」と無視してしまうことが多い中、子ども達の問いに一体何人の大人たちが子どもたちと一緒に考えていけているのでしょうか。

私は講演や大学の授業で、多くの人たちの前で話す機会がよくあります。だから、自分が間違っているかもしれないという可能性や自分の価値観、「正しい答え」を押し付けないようにしようと気を引き締めました。

そして、想像しました。

もしも、この世界が牛乳のキャップが違うと言った子どもが、そのまんまの純粋な心でのびのびと育つことができる世界になれば、その世界はきっと豊かですてきな時間と空間なんだろうな。

 

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今村彩子

今村彩子(いまむら あやこ)映像作家/Studio AYA代表。名古屋出身。愛知教育大学教育学部卒業・大学在籍中にカルフォルニア州立大学ノースリッジ校に留学し、映画制作・アメリカ手話を学ぶ。現在、大学で講師をする一方、ドキュメンタリー映画制作で国内だけにとどまらず、アメリカやカナダ、韓国、ミャンマーなど海外にも取材に行く。全国各地で上映・講演活動をしている。主な作品に「珈琲とエンピツ」(2011)、「架け橋 きこえなかった3.11」(2013)など。