<決定版・欽ちゃんインタビュー>萩本欽一の財産⑭ボケの7段階

高橋秀樹[放送作家]
***
これまでのインタビューはコチラ
昭和34年(1959年)、欽ちゃん(萩本欽一)は18歳のその頃、浅草の東洋劇場で、舞台の進行係から、どうにかこうにか、舞台の上の研究生になったばかりだった。劇場には、池信一・石田映二・水島一郎という3本柱がでんと構えており、大入り満員だった。

「“総出演”ていう演し物があったの」

「オールスターですか」

「違う違う。一番下っ端の僕まで全員出るってこと」
「水島一郎さんが大親分の役で、水島さんていう人は二枚目で、きれいな切れの良い突っ込みをする人。東八郎さんも親分なんだけど、水島さんよりずいぶん格下の土地の親分て感じだなあ。その東さんの下に7人の子分がいる。水島の大親分に東さんがなじられる、すると東さんは自分では答えないで手下に振る。そいう構造だ。この総出演にはずいぶん鍛えられたねえ」
「“ボケの7段階”ていうのを、演じながら体験した」
「水島さんが、東さんをなじる。『てめえら、ウチのシマでちょろちょうしやがって承知しねぞ』東さんはそれを受けて。一番目の手下に振る『怒ってるみてえだぞ。どうするんだお前は』そして、順番に7番目まで振ってゆく」

この時、7人のボケはこれを、キャラクター付けしながら7人7様のボケをしなければならない。もちろん稽古などしないし、お客さんのハイいた舞台での一発勝負。緊張はすごいだろう。

「一番目のボケは、ひとつ軽く落とす役。次の人への振りでもいい」
「二番目のボケは、小ボケ、言葉で落としてもいい。できる奴を演じてもいい。刀を抜く芝居をして、途中まで抜いて戻すんでもいい」
「三番目のボケはテンポをずらす役。強そうに前に出るがやってることは弱さそのもの」
「四番目のボケは、これは、たいがい、東さんが振ってくれる。『お前、そのへんで終わりになると思ってたろう』『お前ちゃんと喋れるか大丈夫か』その振りにうまく乗るのが仕事」
「五番目のボケは、絶対に動き。水島さんに脅すようににじり寄っていくが途中でオカマになるとか、やたら震える芝居がうまいとか」
「六番目のボケはくっつける。五番目のボケが動いてとった笑いに『以上です』」
「七番目のボケは素(す)」

水島さんと東さんに徹底的にいじられる。『こいつは時間かかるぞ』『出るまで、休みましょう』『ここいら辺に座ってるか』『春になりましたね親分』
大将は一番若かったから七番目のボケの時期が長かった。そこで、じっと、六番目までのボケの技を見続けた。あれは辛いけれど、勉強になったという、これは僕の考えだが、コント55号の二郎さんは一人で、同じコントの中で7段階のボケが全部演じることができたのではないか。今度聞いてみよう。

「一番力のある人が、位置するのが5番目のボケ。これは、総出演になると、メンバー見て、誰も指示しないのにそこに並んじゃう。僕はとにかく7番目」

「サッカーみたいですね」

「そうそう、フリーキックは本田が蹴るって決まってる、本田がいない時は誰って」

「やっちゃいけないボケってありますか」

「自分ネタだな」

「自分ネタっていうのは、なんですか」

「流れと関係ない自分のネタ。ツッコミの人もどうしようも亡くなっちゃう。例を挙げてやりたいけど、挙げると、誰だか分かっちゃうからダメ」
「自分ネタをやると、舞台降りてから、とにかく殴られた」
「”奇抜”っていうんだ。そういうネタのこと。たとえば吃音。今はそういうネタで笑いは取れないけど、昔もダメ、やっちゃいけない理由は違うけどね」
「キバっちゃう、ていってね。でもそのネタしか出来ない人もいた」
「なんか、まだ、国に帰れない事情があるって、先輩たちもわかってるから、その人だけは”奇抜”が許されてた」
「少し経って、ありがとうございましたって。辞めてった」

(インタビュー⑮につづく)
 
【あわせて読みたい】