<完成しない二本の映画>表現者として生きようと願った自分が、今、生活者を相手に戸惑っている


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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ドキュメンタリーは、出会いのメディアである。出会い方は様々だが、出会い方それ自体がドラマである。

2014年も終わろうとしている現在、私(たち)は、二つのプロジェクトを進行させている。

一つは「大阪泉南アスベスト国家賠償訴訟」を闘っている人たちを、足かけ7年かけて追っかけている。もう一つは「水俣病の現在」を、こっちは10年かけて撮影を継続している。二つとも、まだクランクアップ(撮影終了)していない。未だに完成できずにいるのは「よーしっ!撮れたぞ!」と筆者自身が納得できずにいるからである。

だから、まだまだ・・・と粘るしかない。もうちょっと粘れば「何とかなりそう!」という予感があるかと言えば、まるで、ない。だから絶望的なのである。そのことを少し詳しく書いておきたい。

両者とも、それぞれ“市民運動”というべき内容を扱っている。主人公は、いわば“生活者”たち。

筆者が「スーパーヒーローシリーズ」と名付けた、これまでの疾走プロ4作品の主人公は、“表現者”たち。ここで“生活者”と“表現者”という定義をはっきりさせておきたい。“生活者”とは“自分と自分の家族の幸せのために生きる人々”の意。

“表現者”とは、自分と自分の家族の幸せはさておいて「他者=世界の幸せのために、粉骨砕身、己の人生を捧げる人」の意、と言っておこう。かなり抽象的かつ夢見心地的ではあるが、筆者が20代前半に、そう考えたことは確かなのだ。

筆者が“表現者”として生きたい、と願ったことは言うまでもない。そう考えるきっかけを与えたのは、報道写真家になりたかったこと、全共闘運動のスローガンに触発されたこと、武田美由紀と出会って互いの生き方を刺激し合ったことが、大きかった。繰り返すが、20代の若かった頃、世界を股にかけたドラマチックな生き方に憧れていた。

“自分と自分の家族の幸せのために生きる”

“生活者”という生き方は、歯牙にもかけない自分がいた。その私が今、まさに“生活者”たちを相手に七転八倒している。いきさつや、きっかけがどうであれ、今、“生活者”と向き合うことが使命なら“生活者”と向き合う方法論をみつけなければならないのだが未だに叶わず、ムチャクチャ戸惑っている。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。