<泉南アスベスト訴訟>謝罪に来るのだから、大臣であっても原告団は気おくれするな!


原一男[ドキュメンタリー映画監督]

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近江八幡市の「地域起こしのための映画作り」プロジェクトと関わっての筆者の内なる想いは、「昭和のスーパーヒーローシリーズ」ほどではなくても、やはり、人民一人一人が「我こそがヒーローである」という気概、覚悟を持つべきである、これしかないと思う。

誰かとてつもないヒーローが現れて、そのヒーローに歓喜拍手、欣喜雀躍して、応援しまっせ! というノリでなくてはアカンのだ。「スーパー」でなくても良い。が、大事なことは、一人じゃダメだ、ということだ。それでは間に合わない。やはり、十人、いや百人、もっといれば、なお、グッド。そう、まさに、コレこそ民主主義の神髄ではないだろうか。

そんなイメージが見えてきたように思う。が、平成の今、現実には、どこにも、そんなヒーローはいない。それは、筆者とて、よく分かっている。だが、いないからこそ求めるべきイメージだけは鮮明にしておきたい。

さて、「大阪・泉南アスベスト国家賠償請求訴訟」を闘う人たちのことに話を戻そう。

強大な権力との闘いは、被害者である人民を革命の戦士として教育、成長させてくれる・・・ハズだった。が、現実は、なかなか期待どおりには運ばない。

2014年10月9日、「泉南アスベスト訴訟」は国の賠償責任を認めるという勝訴判決を最高裁は出した。

「だったら厚労省は原告側に謝罪すべきである」という申し入れを受け入れて、塩崎厚労大臣は謝った。しかし、その過程で、

「何故、私たち原告側が東京に来なければならないんだ?」

「大臣が泉南に来て謝るべきじゃないのか?」

という声が出た。この経緯があって、2015年1月18日、塩崎厚労大臣が泉南の現地に来て謝罪する、ということに相成ったわけだ。

その日程の3~4日前だったと思う。この運動を立ち上げたYさんから原告団に「檄文メール」が届けられた。それをここに引用させていただく。

1、言いたいことを大きな声ではっきりと。

1、同じことの繰り返しにならんように。1分程度でまとめる

1、まちがってもにこやかな顔するな。親兄弟妻夫が苦しんで死んだことを思い出して。

Yさんは、筆者がカメラを回しながら傍らで見ていて、ホントに頭が下がるくらいに献身的に原告の人たちに尽くしていらっしゃる人だ。そのYさん、いても立ってもいられないほどにヤキモキしている様子が手に取るように、筆者には分かった。なお、くどく、追加のメールが届いた。

「短い時間ながら原告個々人から発言する場があるので、思うこと要望したいこと、また、悲しみ怒りも率直にぶつけたらよいです。繰り返しますが、塩崎さんは皆さんに謝りに来るのです。気後れしたり遠慮することはありません。そうすべきは政治家と官僚の方です。」

そして当日。筆者もヒヤヒヤしていた。「こんなにヒトがよくていいのかしら」と思うほどにお人好しの原告団。「遠路はるばる、わざわざ泉南まで来ていただいて」・・・と感謝の言葉など述べなければいいが、と見守っていたが、なかでもリーダー格の数名の原告、と「塩崎大臣に是非、お願いしたい」と要望を伝えていた。

これが「水俣病」の現場だったら、まず、怒号が飛び交う展開になっていただろうなあ、と思いつつ、謝罪というセレモニーの秩序を決して壊すことがないのが、「泉南アスベスト」の人たちなのである。

フーッ、とため息、ひとつ…。

 

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原一男

原一男(はら・かずお) ドキュメンタリー映画監督。1945年生まれ。疾走プロダクション所属。1987年の映画「ゆきゆきて、神軍」は、ベルリン映画祭カリガリ映画賞、シネマ・デュ・レェール・グランプリなど、数々の賞を総なめ (奥崎謙三は、かつて自らが所属した独立工兵隊第36連隊のウェワク残留隊で、隊長による部下射殺事件があったことを知り、殺害された二人の兵士の親族とともに、処刑に関与したとされる元隊員たちを訪ねて真相を追い求める。) 小説家・井上光晴の晩年5年間を追いかけたドキュメンタリー映画「全身小説家」は、1994年のキネマ旬報ベストテン1位・日本映画監督賞、毎日映画コンクール日本映画大賞。