<期限切れのトリックスター・桑田佳祐>勲章をポケットから出し、紅白で平和の歌を歌ったことに「謝罪文」を出す悲しさ

社会・メディア

高橋秀樹[放送作家]
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トリックスターを「秩序を乱すいたずら者」と定義してみる。すると、メディアにはこの「トリックスターが現れては、消え」を繰り返していることに思いが至る。
たとえば、小説界のトリックスターは、筒井康隆さんだった。「アフリカの爆弾」はアフリカの未開民族が、ミサイルを手にしたらどうなるかと言う小説だ。直木賞の候補にはなったが獲れなかった。獲れなくてよかった。獲れないからこそファンは熱狂した。筒井さんは「小説の秩序」を壊した。壊す者を、時に人は熱狂を持って迎える。
落語会のトリックスターは立川談志さん。正統と称する落語評論家などからは未だに蛇蝎のように嫌われている。もともと落語界はトリックスターの住むところだ。しかも、噺家内部からは認められているのに、だ。
大人マンガのトリックスターは谷岡ヤスジさんだが、それよりトリック度が勝っていたのは、少年マンガ誌で、「がきデカ」を描いた、山上たつひこさんだ。主人公の「こまわり君」は小学生なのに警察官。しかも、タマキンをニシキヘビに変身させて、牛をも絞め殺せる。山上さんはこの自分が作ったトリックスターを、存分に想像の世界で遊ばせていたが、途中で、トリックスターである自分と、その創造物に限界を感じ小説に転じた。38歳になった「中春こまわり君」が、戻ってきたときには時代の方が先に進んでしまっていた。
トリックスターと言えばロックンローラーだが、忌野清志郎さんを忘れるわけにはいかない。1988年、東芝EMI から発売予定だった忌野さんのグループ「RCサクセション」のアルバム『COVERS』が、原発問題を取り扱った歌詞などがネックとなり、急遽発売中止になった。東芝EMIの親会社は原子炉メーカーである。トリックスターのまま、58歳で亡くなってしまった。
岡林信康、加川良、高田渡、遠藤賢司、フォーク・クルセダーズ。ずーっと若くなって尾崎豊なんて人の名も浮かぶが、筆者の基準ではトリックスターではない。トリックスターは明るさを兼ね備えていなくてはいけないと思うのだ。
「自衛隊のいるところが非戦闘地域」と言う名言を残した小泉純一郎氏と「角栄の娘」田中真紀子というトリックスター同士が、手を結んでできた内閣が2001年に発足した第1次小泉内閣。小泉氏は自分が秩序を守らなければならないリーダーになってしまったので、トリックスターであり続けることはできないことを知っていた。
しかし、国民の人気はトリックスターに集まることも知っていた。そこで、もう一人のトリックスターを誘った。それが田中真紀子氏。真紀子氏はトリックスターだけでいればよかった頃は、小渕恵三を「凡人」、梶山静六を「軍人」、小泉純一郎を「変人」と呼んだりするなど、抜群のおもしろさを誇っていた。それでも内閣の主要閣僚となってからは、虎の尾を踏んでトリックスターの座から引きずり下ろされた。
筆者はTBS「報道スクープ決定版」の構成をずっとやって来たが、1998年に初めて芸能界のトリックスターことビートたけしさんと真紀子氏に、コメンテーターとして共演してもらった。この時はコメントも型破りでおもしろかったのに、翌年からの二人はすっかりつまらなくなった。
ということは、振り返って考えてみれば、「ビートたけし」と「田中真紀子」がトリックスターとしてのピークを迎えていたのはこの年だったのではないか、とも思えた。
これを言う人はあまりいないと思うが、ビートたけしさんのコメンテーターとしての切れ味は、鈍っている。「新・情報7daysニュースキャスター」(TBS)を見ていて、そう思う。たけしさんには「俺は映画を撮りたいからテレビに出て稼いでんだよ」とくらいに言って欲しい。
テレビは今、秩序ばっかりで、これを壊す「いたずら者」が居なくなってしまった。もちろん、本当はトリックスターとしてのたけしさんの期限は切れていないはずだ。
反対にトリックスターの期限が切れてしまったのは、サザン・オールスターズの桑田圭佑さんではないか。勲章をポケットから出して、紅白でちょび髭で平和の歌を歌ったからと言って、謝罪文なんか出してはいけない。桑田さんを同じ世代のトリックスターとして尊崇してきた筆者としては、悲しいがある。そういう人は少なくないはずだ。
期限切れではなくマネタイズ上の戦略としてトリックスターをやめているのだとしたら、もっと、涙が出るほど悲しいけれど。
 
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