<ノンフィクションの種:伊勢遷宮にあわせ20年に一度奉納した櫛>すぐ3Dプリンターなど思い出す私たちは科学の罠にからめとられている

テレビ

高橋正嘉[TBS「時事放談」プロデューサー]

 
テレビの番組で一番面白いのは生中継だ。サッカーワールドカップ中継や古くは浅間山荘事件。何が起こるかわからない。高視聴率の番組の多くがこれだ。どうなるかわからないもの見るほうも作るほうも、やめられなくなる。
ノンフィクション番組も原点は同じ。これから起こることがどうなるかを見たくなるものをどう作るか、それが制作者の原点だ。だが、これは難しい。シンプルに次が知りたくなるものを作るのが難しい。難しいから脚色したくなる、あれこれ言いたくなる。生中継をやり直すようなものだ、そんなことをしたらうまくいかない。
かつて生中継のようなネタをずっと探していたことがある。
伊勢神宮の遷宮があるとそのネタの記憶が甦ってくる。といっても20年に一度だ。伊勢神宮最大のイベントである遷宮は20年に一度しかないからだ。
京都の四条河原町に櫛専門の店「十三や」がある。このご主人からあるとき話を聞いた。20年に一度、伊勢神宮に奉納する櫛がある。その櫛がすばらしい。だが、今、遷宮になっても櫛を奉納することができなくなっている。もう伝統が途切れている。だがかつて作った櫛だけは残っている。それを参考に櫛を作りたい、というものだった。
物静かな方だった。しかし、意欲が普通に話していても伝わった。
20年に一度の遷宮とは技術の伝承のぎりぎりの期間なのだと思った。手取り足取りはできなくても、物が残っていればそれに挑戦する人が生まれ、技術は伝わる。20年という年月であれば誰が作ったかぐらいはわかるということだった。
だが、この櫛はもう何百年も作れなくなっていた。
番組で取り上げられると思ったのは、その櫛を実際に見に行った時だ。今や世界遺産になった熊野早玉大社にその宝物はある。室町時代に作った柘植の櫛だ。蒔絵櫛。色は黒。普通の柘植の櫛だが0.1ミリ間隔で150本ほどの歯があるのだ。本当に細かい。光にかざさないと隙間が見えないほどだ。鋸で引いて作ったのだという。この櫛が十櫛以上もあった。
京都の「十三や」さんからさまざまな話を伺った。一番印象に残ったのは「こんなに科学が発達したというのになんで500年も前のことができないのか」、という言葉だった。
やることは絞られていった。まず、いい鋸を作れる職人を探すことだった。神戸に竹中道具館がある。ここに調べに行く。古い鋸はどんな鋸なのか。意外だった。丸鋸で弦を張ったような鋸だった。やはり丸鋸が良いのか。
兵庫県の三木市は鋸鍛冶で知る人ぞ知る町だ。ここで作ってくれる鍛冶職人を探した。腕のある人は興味を示してくれる。挑戦者が見つかった。宮野さんという伝説の鍛冶職人と呼ばれる人だった。
“遊び”が難しいという。“遊び”とは鋸がスムーズに引けるように横に歯を広げる幅をいう。これを広げれば楽に弾けるが幅が広いために150本もの歯を作ることはできない。“遊び”を少なくすれば切れなくなる。“遊び”がなく切れるようにするには限りなく薄く更に切れる歯にしなければならない。薄くするには鉄の材質が格段に良いものでなければならない。室町時代のような良い鉄があるのか?
やって見ましょうということになった。ただし一月ほど時間がかかるという。名人が作った鋸で名人が柘植の櫛を引く。
一月後鋸作りの名人は白い布にくるんだ鋸を持参して京都に来た。櫛作りの名人はゆっくり布を取り除いていく。丸鋸ではなかった。定規のような短めの鋸だ。
「ほんなら引かしていただきます」
単刀直入な言い方だった。撮影は細かい作業になった。鋸の歯が柘植の木に入っていく。すごい切れ味の鋸だった。カメラはクローズアップになり指先の指紋が見えた。我々は息を呑んで撮影するだけだった。引き終わると櫛作りの達人が言う。「手前は引けるけど向こう側が引けない」ひっくり返してみると櫛の手前はきれいに引けたが櫛の裏側はゆがんでいた。櫛の厚みで“遊び”のほとんどない鋸の歯はわずかだがずれてしまうのだ。
真剣勝負は伝わったと思う。伊勢神宮に奉納するような櫛はできない。鋸職人はまた鋸作りを約束した。その後、櫛職人は何年も鋸が出来上がるのを待っていた。だが、それは届けられなかった。櫛職人は細かい作業ができるうちにやりたいと、言い続けていた。もうすぐ目が追いついていかなくなる。
息子さんから訃報が届いたのはそれから5年ほど経ってからだったと思う。
 
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