<スコアを伝えないゴルフ中継>テレビは63才の老プロゴルファー「ベン・クレンショー」最後のマスターズをどう伝えたか

テレビ

両角敏明[テレビディレクター/プロデューサー]

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同伴競技者の二人は最終パットをもう一人のプレイヤーにゆずりました。その短いパットがカップに収まるとパトロンと呼ばれる大観衆は誰もが立ち上がり、少なからぬ人は涙を浮かべながら長い間拍手を止めようとはしませんでした。
4月11日、マスターズ・トーナメント、オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ18番グリーン。しかしこれは優勝シーンではありません。二日目のことでした。
そのプレイヤーは20年前、このグリーンで壮絶な戦いを終えるウイニングパットを沈めたあと、パターをおいて両手で顔を覆いその場にうずくまりました。少年時代からともに歩んできた恩師の葬儀を終えて駆けつけたマスターズで執念の勝利をつかみ涙にくれたのでした。この恩師に捧げる勝利はゴルフの歴史に残る名シーンとして知られています。
プレイヤーの名はベン・クレンショー、63才。メジャー2勝を含むツアー19勝を誇る名手です。しかし、彼は今回を最後に実に44年間一度として休むことなく戦い続けてきたマスターズに出場しないことをすでに表明していました。
この日、どのティーグランドでもパトロンたちは彼をスタンディングオベーションで迎え、どのグリーンでもスタンディングオベーションで彼を次のホールへ送り出しました。そのたびに彼はゆっくりと帽子を取り、観客たちに感謝の気持ちを表し続けました。
最終18番グリーンまでやってくると、そこは信じられないような大観衆が取り囲み、大歓声とともに彼を迎えていました。
その光景をグリーンサイドから静かに見つめる老いた黒人の顔がテレビ画面に映し出されました。彼は緑の帽子をかぶり、背中に「CREVSHAW」と書かれたマスターズではおなじみの白いつなぎを着ています。本来ならクレンショーとともにグリーンで闘っていたはずのキャデイ、カール・ジャクソンさんでした。
大歓声の中でクレンショーがマスターズ最後のパットを終えると、ジャクソンさんはゆっくりとグリーンへ歩き始めました。そしてクレンショーも大きく両手を広げてジャクソンさんに近づき二人は強く強く、長く長く抱き合ったのでした。
老いたプロゴルファーと、ともに戦い続けた老キャディの二人がマスターズでの長い長い戦いを終えた瞬間でした。なんだか視ている方がうるうるしてくるようなシーンです。
貧しい家計を支えようと14才でマスターズが行われるオーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブのキャデイとなったジャクソンさんは1976年からクレンショーのバッグを担ぎはじめます。以来、二人はお互いを強く信頼しながら共にマスターズを戦い続けます。
やがてクレンショーはマスターズで2度優勝するとともに、二人は生涯の友としてかたく結ばれていったのでした。
しかしこの日、クレンショーのキャディを務めたのはジャクソンさんではなく、ジャクソンさんの弟でした。ジャクソンさんは大腸ガンのため体調がすぐれず今年のマスターズでクレンショーのバッグを担ぐことはできなかったのです。
アメリカではガンの手術など高度な医療には大変な費用がかかりますが、大腸がんと診断されたジャクソンさんの手術費用を負担したのはクレンショーだったと言われています。
マスターズ最後のグリーンで、二人はお互いに「 I Love You」と言い、あとは言葉にならずに、ただ長い間抱き合いながらお互いを讃えたのでした。
ゴルフには大きなトーナメント、歴史のあるトーナメントがいくつかありますが、このマスターズ・トーナメントには独特の「何か」があるように思います。成績を競う単なる試合にとどまらず、古き良き時代を思い起こさせるようなヒューマンでドラマチックでロマンチックで「すばらしき人生」を感じさせるようなことが。
この日のテレビ中継は、ある時間からクレンショーを中心に伝えられ始めました。クレンショーがホールアウトするまでの数ホールの中継ではクレンショーだけにある特別な配慮があったように感じました。発局のアメリカCBSの配慮なのか、TBSの配慮なのか。
テレビをご覧になっていた方はお気づきになったでしょうか、どのホールでも、試合を終えた時でさえクレンショーにだけはスコアがテロップスーパーされず、アナウンサーも解説の中嶋常幸さんもけっしてスコアを口にはしなかったのです。名手も老います、しかし老いても名手であり続けるプレイヤーへのさりげないやさしさと賛辞だったに違いありません。
プレイヤーのスコアを伝えないゴルフ中継は初めて視ましたが、時にスコアなど不要なドラマが繰り広げられる、それがマスターズ・トーナメントです。
 
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