<実録TGC:第5回>東京ガールズコレクション創業者が語るTGCからNFTへ

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メディアゴン編集部

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新しい投資? 新しいアートビジネス? それとも・・・? 今、何かと話題のNFT。そんなNFTに東京ガールズコレクション創業者である大浜史太郎氏(Jake Ohama)が「NFTデジタルアートムーブメント」プロジェクトを掲げ、オランダ、シンガポール、英国から本格参入する。ファッション業界で成功を納めた大浜史太郎氏だけに興味は尽きない。ファッションからNFTに参入する意図と狙いは何か。本稿では、東京ガールズコレクションからコロナ禍を経て、NFTへと至る経緯を、メディアゴン編集部が、大浜史太郎氏に直接にインタビューした。東京ガールズコレクションの知られざる歴史についても詳細に語ってもらった貴重なインタビューをぜひお読みください。

(全て大浜史太郎氏に直接取材。全7回を予定)

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[第4回https://mediagong.jp/?p=33382から続く]

<GUCCI総帥がTGCの風向きを変えた>

神戸コレクションは、よりモードに憧れ、東京コレクション(東コレ)を意識していた。例えば、神戸コレクションが25代後半から40代の富裕層の主婦や子女を対象とした雑誌「25ans」(ハースト婦人画報社)と一緒にラグジュアリー路線も展開していることからもそれは分かる。ランウェイの両サイドにもきちんと座れる椅子を用意して、その席を高値に設定していた。

それとは対照的に、東京ガールズコレクション(TGC)では初回からアリーナ席をほぼ全てを最安値の自由席のオールスタンディングにした。それは、ファッションショー業界から見れば、とても非常識で、戦略的なパンクであり、反骨心のあるロックを目指したものであった。大浜史太郎氏にとってみれば、東コレなど微塵も眼中に入っていなかった。

ランウェイの上を颯爽と歩くモデルたちは、時代を映す『鏡』だ、と大浜氏は言う。

特定の空間に、その時代の旬のブランドと、旬の人気モデルやアーティストが参加して、これまた旬のスポンサーブランドが重なる事で、全体の空間が『作品の場』として成立している。TGCはランウェイのインスタレーション(場所や空間全体を作品とした芸術)として作られたアート作品であると大浜氏は考えているという。

これほど明確なコンセプトやテーマを確立できているファッションショーは国内にはTGC以外に一つもない。現在、大浜氏の手から離れているTGCが、どの程度このコンセプトを理解し、実践されているかはさておき、ファッションショーとして、既存のステイタスや形式美に憧れた神戸コレクションに対し、明確なコンセプトとテーマ、メッセージから東京=日本のファッションを世界に発しようとしたTGC。この違いは果てしなく大きい。

もちろん、そういった深いコンセプトとは裏腹に、表向きには『日本のリアルクローズを世界へ』をテーマに大々的に銘打った。このようにして、世界的に見ても類を見ない大規模なファッションショー「東京ガールズコレクション」は2005年8月に産声をあげた。

[参考]<NFTで新展開>東京ガールズコレクション創業者がNFT参入へ

初回から大浜氏は自社で3億円を自己負担し、自ら営業にまわった。また最終的に不足分は兼ねてよりYahooの友人だった松本真尚氏と共に、当時のYahoo!Japanの井上雅博社長(故人)を何とか説得して、何とか冠スポンサーに取り付けたのだ。

特に大浜氏がTGCで意識したことは、『ヒエラルキーの破壊とファッションコメディ性(ユーモアやお笑い)』だと言う。パリコレやNYファッションウィークなどのモードのショーでも、下着ブランドVictoria’s Secretのショーでも、ランウェイの最前列から4〜5列目あたりまでは高額に設定された席で、各業界や富裕層にとっては自身の影響力や重要性を表す『ヒエラルキーの象徴』になっている。

海外では、ファッションショーの最前列の席に200万円近い価格がつくことも珍しくない。TGCでは、そこをあえて一番最安値の4千円前後(当時)の価格帯で設定して、ランウェイの両サイドは開場前に並べば誰でも最前列を最安値で観れるスタンディングエリアにした。もちろん、このプランを大浜氏が打ち出した当初、「1番儲かる席を最安値にするとは、大浜は狂ったのか?」と、反対する声も多かったという。最前列の席を最安値にするという発想自体、これまでのファション業界の真逆をゆく行為であり、ファッション業界の常識からかけはなれたものであったのだ。

しかし、大浜氏はイベントを盛り上げてゆくために必要なことは、「お客さんのお金ではなく、会場を埋め尽くすお客さんの熱気」であるということを早い段階から見抜いていた。

お金で人の心は買えない。買えたとしても長続きはしない。結果はどうか。いうまでもなく、TGCは日本はもとよりアジア最大のファッションイベントとなり、日本を代表するリアルクローズのファッションイベントとなった。

つまり、大浜氏は、TGCのランウェイを間近でみたい熱狂的なファンであれば、誰でもが「お金ではなく、時間と手間」さえかければ、最前列で観れるスキームを作ったのだ。

これは世界の階級社会やパリコレ崇拝者へのアンチテーゼ(反対意見)として、また少し気の利いたアイロニー(皮肉)として重要なキーポイントだったという。ところが、この仕組みに、多くの一般女性たちが歓喜させ、大挙して会場に押し寄せさせる引力となった。この現象こそが、TGCであったのだ。

世界的な現代アーティストとして知られる村上隆氏にも「大浜氏のやってることこそが『スーパーフラット』的だ」と当時評されたという。

スーパーフラットとは、現代美術家・村上隆が提唱する芸術の概念。平板的で余白が多く、奥行きや遠近法という西洋的な表現に欠けたような、伝統的な日本画やアニメーションなどに共通した特徴をもった芸術のあり方である。現代美術と日本特有のオタク文化などを融合させたような場合に利用されることが多い。美術(ファインアート)と大衆芸術(ポップアート)の区別を超えるという意味でのフラットを含むこともある。

TGCがスーパーフラット的であるという指摘を受けた大浜氏は、思わず納得してしまったという。

こうして作られた『祈りの祭典』であり、アート作品としてのTGC。順調に滑り出したTGCであるが、大浜氏自身も全く予測していなかった新たな展開も待っていた。

2005年当時、日本国内はファッション誌もアパレルブランドも百花繚乱の全盛期。国内には約200誌前後のファッション誌と約4,500以上ものアパレルブランドが少なくとも存在したといわれる。世界中見渡してもこんなにファッション関連の雑誌やアパレルブランド数の多い国は無い。その数は異常だ。なかでもJJ(光文社)、CanCam(小学館)、ViVi(講談社)、Ray(主婦の友社)など、いわゆる『赤文字系(雑誌名のロゴが赤色系が多いことからの通称)』と呼ばれる女性誌の広告売上は全盛期で、各出版社が互いにしのぎを削りあっていた。まさに女性誌、女性ファッションの戦国時代だった。

そうなれば、女性ファッション各誌の編集長は仲良いはずはない。部数を競っているため、自社に所属する人気モデルを他誌のモデルと一緒に並ばせるなどまったくの問題外。これは、まさに触れてはいけないタブーで、禁断の暗黙事項だった。とくに女性ファッション誌業界には、長年にわたり暗黙のうちに築かれていた『壁』があった時代だ。どのブランドをどの媒体のみで掲載させるのか。どのカリスマ美容師を使い、どのトップスタイリストを奪い合うのか。その壁は広範囲にわたっていた。それに従うしかない厳しい暗黙のルールが存在していた。

「自社の誌面以外には出るな! 出たら干すぞ!」・・・そんな厳格な空気感がファッション誌の編集長をピラミッドの頂点に、モデルが所属する芸能プロから美容師やスタイリスト、そしてアパレルブランドまで、その暗黙のルールである『壁』が広がり、立ちはだかっていた。そんな世界に、ITという異業種業から携帯を片手に突然にやってきて、その『壁』を次々と破壊していったのが東京ガールズコレクションの創業者である大浜史太郎氏に他ならない。

「最初の頃は、本当に全く話を聞いてもらえませんでしたね。『お前、携帯サイトの分際で』って何度も嘲笑されました。PCならまだ分かるが、モバイルでブランド品を売ろうだなんて頭がおかしいのか・・・とよく問い詰められました。ああ、この人たちには、僕の見えてる世界が全く見えてないんだなと。だからこそビジネスチャンスがあったわけですし、全く気にはしてませんでした (笑)」(大浜氏)

大浜氏は、何度も人気ファッション誌の各編集部に足を運び、今回は自分たちの5周年記念なので、一度だけで良いから各社の専属モデルをTGCに参加する事を許可してほしいと懇願し、足繁く通い続けた。携帯サイトといっても、その頃は既にgirlswalkerは700万人近い会員数を誇る日本一の女性サイトだ。やがて、その高まる影響力に各編集長たちも仕方なくしぶしぶ折れたという。

第1回のTGCは1万2000人を集めて大成功に終わった。だが、それでも相変わらず、各女性ファッション誌はTGCへ自社の専属モデルを参加させることに難色を示していた。大浜氏は各社に5000万円〜1億円近い広告費を出して良好な関係性を築こうとし続けたが、それでもキャスティングの調整にはいつも翻弄され、悩まされ続けた。イベントとしては順調し滑り出すことができたものの、それを維持するために不可欠なモデルの確保が何よりも困難になっていたというわけだ。しかも、単純にお金だけでは解決しないめんどくささもあった。

[参考]<実録TGC:第1回>東京ガールズコレクション創業者が語るTGCからNFTへ

ところがその業界の雰囲気が一瞬で瓦解する日が突然やって来る。

それは東京ガールズコレクションの第2回の開催時に、GUCCI率いる高級ブランドの総帥「KERRING(ケリング)グループ」のフランソワ・ピノー氏が自らプライベートジェットで来日したのだ。しかも、村上隆氏と一緒にTGCに来場し、これを絶賛してくれたのだ。これには日本のファッション業界も驚きを隠せず、業界は上へ下へとひっくり返った。

「ピノー氏は、TGCを見て『クレイジーだ! クレイジー!』と隣でゲラゲラ笑って見てましたね。こんなの見た事ないと。TGCはあえてモードの対極で、意識的にファッションコメディに演出を仕上げてました。もちろん、内心では『お前はファッションを舐めてる』とか言われて怒って帰ってしまうのではないかと、ずっとハラハラしていました」(大浜氏)

と、大浜氏は笑って回想する。

フランソワ・ピノー氏といえば、世界中のファッション業界では最も恐れられている権威であり、トップの1人だ。また、世界二大高級オークションハウスの「クリスティーズ」のオーナーでもある。誰よりも『ファッションとアート』に対する深い洞察力と彗眼を持ち、非常に気難しい性格でも知られている。

「つまらないファッションショーだと1〜2分ですぐ帰ることで有名でした。正直、何分くらい座って観てくれるのか。怒鳴られないかと・・・とドキドキでした。ところが予想に反して、2時間以上もじっくり観てくれて、僕が会場全体を案内しながらTGCのコンセプトや意図を丁寧に説明しました」(大浜氏)

さらに大浜氏は、ピノー氏にこう説明したのだと言う。

「敗戦後の日本が笑って前を向いて歩くには、低価格で着回ししやすい服が必要だった。そしてモードの無表情との対比として、TGCではあえてモデルにランウェイを笑顔で歩かせたり、手を振らせる自由を与えた。それは今の平和を享受できたことへの『感謝と解放』を意味してるのだと。これは『ランウェイのインスタレーション』なのだ。戦勝国のあなたの母国フランスでは『無表情のランウェイ』が当たり前だけれど、敗戦国の日本では『笑顔のランウェイ』で歩いている。これがモードとリアルクローズの『対比のメタファー』なんです。僕がそういうと、ピノー氏からグッと握手を求められて『一緒に写真を撮ろう』って言ってくれたのは彼流の認めてくれた証でした。ずっとご機嫌で、明らかにTGCからインスピレーション受けてる様子でしたね。決してパリコレの物真似ではい、独自で考えたものには真摯な対応をする人たちです。僕の狙いがスイートスポットに当たった瞬間でした。」(大浜氏)

と大浜氏は述懐している。

この想定外の噂は瞬く間に日本のファッション業界でも広がった。世界の権威がそう言うのだから、反論する余地はもはやない。まさにこの時から、日本のファッション業界に長年そびえていた『壁』が一気に崩れ始めた。ここからこぞって各社はインターネットへ本格的に傾きはじめる。この頃から、国内の女性ファッション誌は、自社の専属モデルを縛るより、TGCに参加させてパブリシティを取る事の方が価値が高いと判断した。いや、むしろTGCに参加できない事こそがリスクとさえ思うようになったのだ。大浜氏は、どこの出版社・事務所からも、こぞって自社モデルをTGCに参加させてくれるようにお願いをされる立場へと豹変してした。

時代の流れが、大浜氏の立場と環境を完全に逆転させた瞬間だ。(第6話へ続く)

*編集部註:girlswalker.comおよび当時の運営会社は売却されており、現在のgirlswalker.comと大浜氏は一切関係ありません。

 

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