<映画「ビリギャル」はなぜ優れているのか>テレビから失われた「ホームドラマの王道」をきちんと守った構造


高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]

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映画「ビリギャル」を見て、筆者は不覚にも泣きそうになった。

邦画を劇場の大きなスクリーンで見るのは何年ぶりだろう。今は、だいたい評価の定まったものをDVDで見ると言うのが時間節約のための習いとなっている。

「映画は、監督でも、脚本でも、ヒロインでもなく、女優で見る」

と、おっしゃっているのは、小説家の小林信彦さんだが、この映画は女優で見るのにふさわしい映画だ。有村架純ちゃんが可愛い。全編、可愛くてけなげである。

5月15日金曜日、渋谷。土井裕泰・監督、橋本裕志・脚本の映画『ビリギャル 学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』を見た。観客動員がすごいと聞いていたが平日の昼間とあってか、入りは3割。女子高生の姿も目立つ。

筆者はこのドラマの原作をすでに読んでいる。だから、ストーリーはすでに知っている。しかし、原作を読んでいたとしてもこの映画のおもしろさは減じない。

まず、映画の構造はホームドラマの王道の文法をきちんと守っている。

一つ目の構造は主人公・工藤さやか(有村架純)の成長物語である。もうひとつの構造は、壊れかけている工藤家の家族再生物語である。そして結末は「慶応大学合格というハッピーエンド」である。

この構造は王道だが、逆に言えばベタである。使い古されたこの設定をどう新しくするかは見せ方の工夫次第である。それが、見事に自然に流れている。設定をやりに行っていない、押しつけてこない。だから見やすい。感情移入が容易になる。だから、もらい泣きしてしまう。

では、筆者は誰に感情移入してこの映画を見ていたのであろう。少し考えて、わかった。

筆者は、工藤さやかが通う塾の老塾長に感情移入していたのである。老塾長の役どころは工藤さやかの「受験応援団」である。静かに見守る役である。

筆者もいつの間にか「合格しろさやか!」と言う気持ちでこの映画を見ていたのである。合格するのがわかっていても応援していたのである。そうなったのは土井監督と橋本脚本に自然と筆者の心が引きずり込まれていたからである。

しかも、この老塾長を演っているのは、僕らの世代には懐かしい「赤色エレジー」のあがた森魚さんであった。

ところで、この映画はどこにでもありそうな家族を描くホームドラマである。こういうドラマはなぜテレビの連続ドラマから消えてしまったのだろう。こういうドラマこそテレビでやるべきなのではないか。11回の連続ドラマにして充分耐える要素がこの映画に詰まっていたように筆者には思えた。

しかし、ひとつだけ苦言がある。

エンディングのスタッフロールバックで演者が各シーンの場所・役柄そのままで、サンボマスターが主題歌「可能性」を歌うが、この手法は原田知世主演、大林宣彦監督『時をかける少女』(1983年)の印象が強すぎる。

あれは衝撃的なエンディングだった。

 

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