[江川達也]<漫画「日露戦争物語」の真相(3)>司馬遼太郎財団からきた苦情が漫画の方針を変節させた

江川達也[漫画家]
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編集部註(ここまでの話)江川達也は小学館で漫画「日露戦争物語」を描くことになった。ところが編集者は主人公を山本権兵衛から秋山真之に変更することを提案してきた。江川は秋山が主人公では日露戦争が俯瞰できないと悩んだが、結局提案を受けた。
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秋山真之を主人公にして史実をある程度トレスすると「坂の上の雲」(司馬遼太郎)に似てしまうという一抹の不安があった。
司馬遼太郎さんが下敷きにした史実とおなじ文献を参考にすれば、同じ話を描かざるを得ない。実際、司馬さんがかなりまんま文献を引用してる箇所も描いていて発見した。もちろん、小説と漫画なので、かなり違うものにはなるが、人によっては、それを赦さない方もいらっしゃるだろうとの危惧はあった。
そして、その危惧は現実のものとなり、「坂の上の雲」のファンの方々からの苦情が司馬財団に寄せられ、筆者と担当編集者は司馬遼太郎記念館へとご挨拶に伺うこととなる。ここで「日露戦争物語」という漫画作品の方針が転換せざるを得なくなっていくのだ。「坂の上の雲」とは全く違う方向で描く・・・という方針になった。主人公が同じなのに。
「坂の上の雲」では、日清戦争の描写があまり描かれてない。日露を描く為には日清を描かなければいけないし、日清を描く為には甲申事変を描かなくては行けないし、甲申事変を描く為には台湾出兵を描かなくてはいけないし、台湾出兵を描くためには、薩英戦争・馬関戦争を描かなくてはいけない。
こういう因果関係にこだわっていた筆者にとっては嬉しい方針転換にはなり、日清戦争を、秋山真之をあまり描かず群像劇として描く方向になっていった。
今までの展開とあまりに違う方針転換は作品的には相当まずいものになった。
こんなことになるから、秋山真之を主人公にしないほうがよかったのである。そもそも筆者は司馬遼太郎さんが好きじゃないのに。だから、山本権兵衛で行こうって何度も言ったのに。
「連載前に、主人公を山本権兵衛にしたいって何度も言ったのに。」とどれだけ心の中で叫んだことだろうか。いや、口に出して編集者に言った。
この編集者は憎めないいいヤツだった。だから、折れてしまった。だから、腹も立たなかった。本当にもう少しイヤなやつだったら、山本権兵衛で押し切ったのに。いいヤツは本当に計画を狂わせるもんだという人生の皮肉をかみしめた。
その後、担当編集者は小学館の人事で交代し、いろんなことがあるのだが、なんだか長くなったのでその後のヒドい顛末はまたの機会に譲ることにする。歴史認識が違い、作者が描きたい歴史と編集者の思い込んでいる歴史が違っていて編集者が作者が、描きたいことを阻んだり、編集者が歴史に全く無知だったりすると苦しい戦いが起こる。
また、読者の支持が得られなかったりすれば、漫画は売れるように手直しされるし、最終的には終わる。それが商業漫画の世界だ。小説より「友情・努力・勝利」を描かなくては行けない世界。というより、描いて行かない漫画は終了する世界なのである。
因果関係を語る歴史漫画を日本の漫画読者が求めていないのでそういう漫画は描かれず、勝利や友情や戦争の高揚感勝利感という下らない(史実分析にとって)快楽を描いた歴史漫画が描かれるという現実は続くのである。
「売れる漫画はセックスとバイオレンス」ということは、もう自分がデビューする時から常識だった。バイオレンスの快感を司馬さんや宮崎駿さんは読者に悟られず提供しているから売れているのだ、と筆者は分析している。(もっと語ると細かい分析があるが、今回はザックリした表現に留める)
そういう下らない(分析的世界観には)快楽ではなく、その外に広がる無限の面白さに読者が気付き、楽しめるようになった時にやっと歴史漫画が描ける環境が整うのだろうと思う。
だからこうして、

「司馬さん(小説のみ)や宮崎さん(全て)の作品は下らない」

と文章で書いているのだ。
日露戦争の勝利という快楽がその後の日本人の認識を歪め昭和の戦争敗戦へと続いていった。戦争の高揚と勝利に似た快楽を求めて小説や漫画やアニメを味わう人と似ていると筆者は分析してしまう。自らの快楽を味わう姿を別の視点から見るようなメタ認知が育つことを祈る。
まあ、他の漫画でもそういうメタ認知的なことは書いたけど。
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