大森COMPANYプロデュース公演の舞台「更地11」がすばらしい。
高橋秀樹[放送作家/日本放送作家協会・常務理事]
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宇野亜喜良や、寺山修司の名が書いてある油染みたポスター。JUNの文字も読み取れる。
筆者はこの時代に少し遅れて上京した。下北沢の珉亭でレバニラ炒め中ライスを食べているのである。上京した頃、この店で夕飯を食う財力が筆者にはなかった。酒とタバコに回す金を取っておきたかったからだ。
42年前、山形から6時間半列車に揺られてやって来たのは早稲田大学第一文学部で学ぶためであった。補欠合格であった。東京に来て初めて下北沢という、芝居小屋や売れない役者たちであふれている街があることを知った。
筆者は中野の学生寮に住んでおり、中野は新宿の仲間であったから、新宿にそのたぐいの人たちが多いのは知っていた。だが、一度、新宿に出てから小田急に乗り換えなければならない下北沢は、電車賃の上からも遠い街だったのでしばらく行ったことがなかった。
演劇というのも山形の田舎少年からは遠い存在だった。だいいち一度も見たことがない。テレビで笑いを見るのは好きだったがあこがれていたのは「コント55号」と、林家三平である。勿論、テレビに出る人になるなどと言うのはとんでもない事で、あれは特殊な才能のある人にしか出来ないと信じ込んでいた。
4年在籍して、早稲田を除籍になった。山形に帰るのだけは避けたかったので再上京した。コピーライターの見習として就職した。青年座という所の文芸部も受験した。麻雀の代打ち業をやった。ADをやった。放送作家になった。やっとその頃になって下北沢に行くようにもなった。
つかこうへいはもう、最先端ではなく、佐藤B作の「東京ヴォードヴィルショー」、柄本明の「東京乾電池」、野田秀樹の「夢の遊眠社」が先頭を走っていた。そこで、実に沢山の役者の卵たちがいることを知った。実際に知り合って酒を飲んで話もした。そこで、いつも僕が聞いたのは役者としては、何を持って成功だというのか、ということであった。
テレビは全盛だから、テレビドラマの常連になることか、渋谷のジャンジャンなど小劇場を卒業して、紀伊國屋や本多劇場で芝居を打つことか、帝国劇場や日生劇場の商業演劇で成功することか、映画俳優になることか。成功が何か答えを教えてくれないまま、多くの人が退場していった。
こんな話を長々と書いたのはレバニラ炒めを食べたあと、芝居を見に行ったからである。場所は下北沢小劇場の聖地ザ・スズナリのとなり「シアター711」。
大森COMPANYプロデュース公演の「更地11」である。出演者は内容がすばらしかったので全員書いておく。
山口良一、天宮良、大森ヒロシ、弘中麻紀、今井久美子、今村美乃、坂本岳大、岩田有弘、三宅祐輔。演出は役者番手3番目の大森。作は故林広志である。結構有名どころが、こんな小劇場でやっているのか、ということにまず感心する。
演じられる芝居はまさしくコントである。おそらくテレビでやっても受けない、もしくは笑ってもらえないコントである。
中でも一番面白かったのは、些細なことでも感心してしまう感染症「ヘェーズHeis」に、全員罹ってしまうコント。これが伏線になってエンディングになだれ込む。山口良一君に開演前に会って聞いたら「これはテレビの芸人さんがやるようなコントではなくお芝居になっていて」と説明してくれたが、これはやっぱりコントだ。
結婚式で不吉な電報を読むコントとか、1分前に戻れるタイムマシンとか、どちらかというとベタなタイプのコントです。筆者が感心したのはこの芝居かも知れないコントに入れようとすればいくらでも入れられる風刺とか、テーマ性とか、メッセージ性とかが入っていないところなのだ。それを芝居のように熱演するのがよろしい。
この熱演はテレビだと暑苦しく感じるだろう。だが、きちんと日舞の出来る三宅祐輔君がさらっていくところがすばらしい。今村美乃さんが可愛いのでどきどきする。筒井康隆味のこういうコントを筆者もその昔、書いていた事を思い出し、見ていて少し悔しい。
年配者の客も多いが、高校生らしき客も多い。80席は熱気の満員。この劇大化けするかも。本多劇場でも10日間マチネ・ソワレ(昼夜)20公演やって満杯にできる。
席が一番前のかぶりつき席なのも久しぶりだ。むかしは板間の上にウレタン座布団一枚だったけれど、今回は小さいながら、背もたれのある座椅子がついていた。
隣に筆者の好みのタイプの黒縁眼鏡で色の真っ白いポニーテールの美少女「一人で見に来ていて」が座って、これは何かの縁かも知れないと邪推したが、膝小僧が触れあっても嫌悪されなかっただけで、よかった。
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