[茂木健一郎]コメディに「Laugh track(笑い声)」が追加されなくなった理由

エンタメ・芸能

茂木健一郎[脳科学者]
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最近のイギリスのコメディには、「Laugh track(笑い声)」が入っていない。以前は、「Fawlty Towers」や「Monty Python」など、入れるのが通例であったが、ある時期から入らなくなった。
例えば、「Derek」をつくったRicky Gervais の傑作「The Office」でも、一切Laugh trackは入っていない。視聴者は、笑い声なしに、会社の上司が受けようとして滑ったり、それぞれの社員が、自分の個性の限界や、癖ゆえの失敗や悲劇を起こす様子をじんわりと見る。
録音された笑いによるLaugh trackを発明したのは、アメリカのテレビプロデューサー・Charles Douglassだとされる。ダグラスは、収録の際に必ずしも「受けなかった」ジョークも、笑いをかぶせることで面白く感じるという現象に気づいた。
笑い声でコメディを増量するのである。
テレビでコメディを放送するようになる前は、人々は、ミュージック・ホールなどで、他の聴衆とともにコメディを楽しんでいた。laugh trackはその当時の様子を再現しているともされる。他の人と一緒に笑うことによる一体感、笑いの強化といった効果を図ることもできる。
Laugh trackの効果は、明らかなのに、最近の英国のコメディがそれを使わなくなったのは、より、繊細な表現を志すようになったからだろう。元々、笑いには、ドタバタだけでなく、人間の性質の観察(observation)という側面がある。観察する上で、笑いは必ずしも助けにならない。
私たちは、日常の中で、お互いの限界や、弱点、勘違い、すれ違いなどに接して生きている。コメディの種はそこにある。
笑うことは福音だが、同時に、認識の細やかさを損なう曇りともなる。「The Office」や「Derek」は、笑いという出力なしに、人間の脆弱さ、失敗を観察し続ける。
笑いなしのコメディは、一つの感覚であり、日常におけるお互いの弱さに対する配慮ある観察である。個性ゆえに失敗する人を、やさしく寛容に見守るという態度を、Laugh trackのないコメディは育んでくれるのかもしれない。

(本記事は、著者のTwitterを元にした編集・転載記事です)

 
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